記事「新撰組」 の 検索結果 769 件
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函館の土方歳三土方歳三が最後まで守った二股口古戦場へ行ったのだが、あ いにくの雨に降られたうえに目的の土塁を発見できなかった。 土方歳三といえば何と言っても「一本木関門」である。 公園の中にあって落ち..
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疲れたが充実した5日間画像を取り込んだパソコンがまだ帰って来ないので函館・札幌・小樽の 永倉新八史跡めぐりの報告は明日以降になる。 今日は、疲れて午前中はうつらうつらと眠っていた。4泊5日はやはりジ ワジワと効いてく..
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試衛館(近藤勇の道場)跡市ヶ谷甲良町にあったといわれている近藤勇が道場主だった 試衛館跡を訪ねた。都営大江戸線「牛込柳町」から徒歩5分 のところにあった。柳町病院の裏である。 永倉新八は、『新撰組顛末記』で「江戸は..
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会津紀行③(阿弥陀寺・斉藤一の墓)阿弥陀寺の境内にある御三階は、鶴ケ城本丸にあった 建物で、外観は3層だが内部は4階になっているらしい。 藩主たちが密議をする場所でもあった。 この阿弥陀寺には、新撰組・斉藤一の墓もある。
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会津紀行①(母成峠の戦い)会津戊辰戦争の激戦地である母成峠に板垣退助率いる3000人の 新政府軍が迫った。迎え撃つ同盟軍は、大鳥圭介率いる旧幕兵・伝 習隊を中心とする800人であった。 圧倒的な兵力の新政府軍に対して..
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近藤勇の首塚2法蔵寺の境内から山腹を少し歩くと近藤勇の首塚が見えてくる。 新選組ファンが立てたのか誠の旗がある。 近藤勇の胸像は昭和33年に首塚が発見された後につくられた。 胸像と石碑は、江戸の方角に..
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近藤勇の首塚岡崎市の法蔵寺に近藤勇の首塚があることは知っていた。 今日、初めてその首塚を訪れた。 法蔵寺は由緒によると、徳川家康が竹千代時代に学んだ寺 ということである。山腹には松平家御霊廟があり、家康..
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池田屋復活新選組が歴史上に登場した「池田屋事件」の舞台・池田屋跡地には 石碑しか建っていなかった。おまけに池田屋跡地はパチンコ屋だった。 ところが先週、その場所に居酒屋・池田屋が開店した。「はなの舞チェ..
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戊辰戦争の激戦地鳥羽伏見の戦いで淀城付近も激戦地であった。新選組の井上源三郎が戦死 したのも千両松というところである。妙教寺には、榎本武揚が書いたという「戊 辰戦争役東軍戦死者之碑」が立っている。 また、愛..
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島原写真は島原大門。島原は、花街として発展し「角屋」と「輪違屋」など 新選組に関係する建物が現存している。壬生から島原へ行く途中に 「新選組記念館」があり、館長の青木繁男氏の個人収集の資料が展 ..
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新撰組之墓・光縁寺先日のNHKで「沖田氏縁者」と銘打たれた墓が放映された。 墓石の戒名が沖田総司のものと共通性があるという解釈で 住職の話として檀家に沖田姓がいないことから、沖田総司に 関係あるものとしていた。沖..
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新撰組の聖地新選組といえば壬生寺である。学生時代(40年前)と10年ほど前にも 行ったことがあった。しかし、記憶とは違う景色であった。 壬生塚も様子が違っているような気がした。 近藤勇像も台座が高くなっ..