記事「方法」 の 検索結果 32375 件
-
ゴドーを待ちながらパクスナム朴寿南と確か書かれていた。 美しい音。 かの国のことばの美しさを初めて知らせてくれた。 その人の本がどこにあるのか、今は確認できない。 李鎮宇との往復書簡。 *****..
-
ふうふうの一日今日は地方競馬でもあったのであろうか。 道と言う道がつまって、逃げても逃げても渋滞の中に埋まってしまう。 気がかりなことのあれこれ、進まぬ仕事。 これもまた、逃げても逃げても迷い込む隘路であろう..
-
横顔森鴎外は全集を揃えて読むほどにはならなかった。いつかたどり着くことがあるだろうか。 樋口一葉のささやかな葬儀に参列するという申し出があったそうだが、固辞されたと、杉山武子さんの文章にあった。 鴎外..
-
卯月の白い花:「純粋精神」にことよせて心は流れていく だから人は心には入れ物が要ると思う 心は霧のように散っていく だから人は心に彩をつけようとする でも まちがえてはいけない 心に形があると思ってはいけない 心に色があると..
-
見ること そして 網膜像という幻想最初に読んだランボオ論は「見ること」に関する議論であった。 「純粋な網膜像」を汲み取ること、と。 網膜に映ったものは逆転像である。 人はそれを正立像として認知する。 しかし、もし、光学的な..
-
今日も夕暮れ週末動き回って、遅れた雑事が耳を引っ張る。 ぼんやりと一昨日の美術館の雰囲気を思い返す。 典雅なやりとりが日常の暮らしでは得がたいもののように思え、しかし、ふりかえってあれこれ辿ってみれば、訪..
-
雑木林の迷い道 5 まよい道の地図について迷路をぐるぐる廻る。 まるで、目隠しをしたように、どこを歩いているかわからぬ。 長いながい迷走のはてに、あるときはたと地図が浮かぶ。 こんなことをしていていったいどうなるのだろう。 あまり..
-
ここを過ぎ行く我「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」 しかし、むしろいまこころに落ちるのは、ここをいずれ立ち去る身となるという当たり前のことである。 十分に老いたと思うが、しかし苛酷にも多忙である。 ..
-
新しいことをする時は仕事で福岡へ来た。 1年半前とは違う宿をとった。 見慣れぬ場所に湯沸しがついている。 持参のインスタント・スープをつくろうと湯飲みに中身をあけ、湯を注いだ。 ところが、左手の奥にあるポットの台..
-
学生生活のスタイル 10 泪のわかれ2月3月は特別な季節である。 思い通りにいかぬがゆえの涙。 入学許可、卒業資格取得、それらの失敗。 いったいどれだけの涙が流されるだろう。 結核を患っていた梶井基次郎が車をやとって(どうに..
-
金曜日の夜金曜日の夜。 水曜日を目標にしていた仕事のひとつが遅れてようやく30分ほどまえ送信できた。 朝、仕事場にしている集合住宅の排水管清掃が入った。高圧水流をかけて、排水管の中をきれいにするのだ。廊..
-
パリ16区のブルジョワ夫人私はパリをあまり知らない。 ストラスブールの商工会議所がバックについた語学学校と言うのがあって、そこで教えているのは、文学系の大学卒業者たちが多かった。高級官僚や、ブルジョワジー(それは、町の人とい..