記事「日経新聞」 の 検索結果 2470 件
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『登山大名』(1~6)第一章 娘狩り 崖の上のアカマツの大木の陰にいるわたしに、娘は気づいていないようだった。連れがいるようだ。 竹籠を背負っているところをみると、キノコでも集めていたのか。 近隣の娘である..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(318~323)西南戦争における政府軍出生兵員六万八三一人、死者数一万五八〇一人、薩軍四万余人、死傷者二万余人。戦費は双方合わせて約四二九二万円、現在の約一兆九千億円に達している。 戦争で生き残った薩軍..
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日経新聞で2月1日から『登山大名』が連載開始日経新聞で2月1日からは『登山大名』がスタートします。 新しい連載小説 登山大名 諸田 玲子 安里 英晴 画 本紙朝刊連載小説、辻原登氏の「陥穽(かんせい) 陸奥宗光の..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(312~317)東京の大江からの連絡を待つ日が重なったある日、陸奥は靱本町から東に向かって歩いていた。一件の刀剣屋の前を通りかかった時、岩神が太刀の刃毀れを嘆いていたことを思い出した。 陸奥は軽く会釈を..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(306~311)立志社系の挙兵計画は進んでいる。 政府軍は西郷軍の包囲を崩せない。 四月九日早朝、陸奥は飛ぶように東京を発ち、横浜から東京丸に乗船した。 和歌山の岡本柳之助からの電報が木挽町に届..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(290~296)陸奥は児玉宅に一泊したあと、舟で紀ノ川を下って和歌山に入った。寺町にある伊達家の菩提寺に墓参のあと、北京、上海と旅を続けて帰国した岡本柳之助と会った。 「先日、鳥尾小弥太がいきなり訪ねて来..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(277~280)九月八日、嵐を衝いて横浜を出港たフランス汽船には、当時新政府の通商正の役にあった中島信行や吹田四郎兵衛の甥飯田勘十郎も乗船していて、陸奥は中島と帰国するまで行を共にする。 十月、ナポリ..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(271~276)新政府は、初めにあった大坂案を退けて江戸遷都を決め、江戸を東京と改名する(明治元年・一八六八・七)。 中央政府において、「改進派」と「保守派」に分かれて熾烈な党派・権力争いがあった。更..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(265~270)第一章 3 慶応四年(一八六八)三月十三日、新政府下参謀西郷隆盛と旧幕府軍総裁勝海舟は、江戸・高輪の薩摩藩屋敷において会談する。両者は再び、翌十四日にも会う。ここで江戸城の無血開城が決定し、..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(262~264)採用か不採用か、合否の結果を待ちながら小二郎は神戸・摩耶の埠頭工事を請け負っている加納宗七宅の居候となって、加納の帳簿付けなどをしながら日を送る。 小二郎は週に一、二度、西宮に永井博差..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(256~261)第二章 2 小二郎は大坂・本町橋東詰にある谷町代官所を訪ねた。代官所の手附らしき侍が出て来たので、走り寄って、前代官松永善之助の家族の消息を訊ねた。男は、松永代官が死亡後。谷町に赴任したので..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(254~255)佐佐木高行(一八三〇ー一九一〇)は枢密顧問官在職のま八十一歳で死去するが、膨大な日記『保古飛呂比 佐佐木高行日記』(全十二巻 東京大学史料編纂所編、東京大学出版、一九七〇ー七九)を残した..