記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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府中高札場旧甲州街道と府中街道の交差するかつての府中宿の中心地にあったのがこの高札場。往来の多い宿場にあったため、他の村よりも多くの高札が掲げられていて、天保9年(1838年)には10 枚の札が掲げられていたそ..
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弁慶硯の井戸東京都府中市片町の高安寺境内にある井戸。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経が、京都に戻る途中か奥州への途上か、この寺に立ち寄り、武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと伝わっています。
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秀郷稲荷大明神東京都府中市、藤原秀郷の館跡とされている高安寺境内に鎮座する神社。この地は分倍河原の戦いの際、新田義貞が本陣を構えたり、また、応永の乱、永享の乱、享徳の乱など、様々な戦いの際に軍事拠点となった処です。..
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高安寺東京都府中市、大國魂神社の西に位置する曹洞宗のお寺で、平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊の居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとのこと。後に足利尊氏が臨済宗の禅寺として再興し、高安寺となったそうです。
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磨墨像磨墨は佐々木高綱の乗る池月と宇治川の先陣争いをしたことで知られている梶原景季の愛馬。この名馬・磨墨は馬込村の産と伝わっていて、東京都大田区南馬込の万福寺の山門脇に像が建てられています。
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梶原景時墓(大田区)梶原景時は石橋山の戦いの際に源頼朝を助け、その後鎌倉幕府の有力御家人になった武将。東京都大田区南馬込の萬福寺境内に梶原景時のものと伝わる墓がありますが、本人の墓ではないと考えられているそうです。
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磨墨塚東京都大田区南馬込にある梶原景季の愛馬の墓とされている塚。名馬として知られた磨墨に乗った景季は、寿永3年(1184年)の宇治川の戦いで、やはり名馬の誉れ高い池月に乗る佐々木高綱と先陣を争いました。
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大森貝塚遺跡庭園東京都品川区にある大森貝塚を整備した庭園。モース博士による発掘は明治10年(1877年)9月から12月に行われ、この発掘は日本初の学術的発掘であり、このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれ..
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モース像エドワード・S・モースは、米国の動物学者。標本採集に来日し、東京大学の教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力しました。また、モースは大森貝塚を発見し、日本の人類学、考古学の基礎をつくりま..
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大森貝塚東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期 - 末期の貝塚。明治10年(1877年)6月17日に横浜に上陸した米国人の動物学者モースが、6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、列車の窓から発見した貝塚..
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佃島渡船場跡隅田川に架かる佃大橋の東袂近く、東京都中央区佃1丁目に碑があります。徳川家康が、摂津国佃村の漁民を招いて住まわせたところが佃島で、この島と対岸の船松町との間に、正保2年(1645年)に通ったのが佃の渡..
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佃島渡船場跡東京都中央区湊3丁目、隅田川に架かる佃大橋の西の袂にある佃島渡船場跡の碑。「佃の渡し」と呼ばれたこの渡船は、佃島(現在の佃一丁目1~10番)が築かれた江戸時代から昭和期まで約320年間続いた渡船だった..