記事「東京」 の 検索結果 67037 件
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鈴ヶ森処刑柱礎石江戸時代の鈴ヶ森刑場跡に残る、火炙用の鉄柱や磔用の木柱を立てた礎石。 右側が、八百屋お七を始め、火炙りの刑に使用された火灸台の礎石。 左側が、丸橋忠弥を始め、磔の刑に使用された磔台の礎石だそうです..
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浜川砲台跡嘉永6年(1853年)の黒船来航に対して、土佐藩も下屋敷があった品川宿 立会川の海辺に大砲8門を備える砲台を築き、異国船の再来襲に備えました。 その折には、坂本龍馬もこの地で警備の任に着いていたそ..
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浜川橋(泪橋)江戸時代、鈴ヶ森の刑場に向かう罪人は、立会川に架かる泪橋を渡りました。 罪人にとっても家族や身内の者にとっても、泪橋は最後の別れの場であり、 お互いがこの橋の上で泪を流したことから、泪橋と呼ばれて..
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坂本龍馬像(立合川)幕末の嘉永6年(1853年)6月3日、ペリーが4隻の黒船で浦賀に来航。 その当時、坂本龍馬も土佐藩の一員として、土佐藩抱え屋敷に設けられ ていた浜川砲台での警備に駆り出されていたそうです。
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品川寺東京都品川区南品川にあるお寺で、江戸33箇所観音霊場の第31番。 弘法大師を開山として創建され、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立 され、その後、承応元年(1652年)に再興され、現在の寺号と..
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釜屋跡釜屋は南品川にあった、大変に繁盛していた建場茶屋の一つ。 慶應4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、 同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在していたとのことです..
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街道松の広場旧東海道の旧品川宿の数カ所には、街道松と呼ばれる松が植えられて いて、その中の一つ「品川宿の松」が、街道松の広場に植えられています。 浜松市の有賀慶吉氏から寄贈された、樹齢80年の黒松です。
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品川橋品川宿の中央で、北品川宿と南品川宿を分ける目黒川に架かる東海道の橋。 昔は北の天王祭(品川神社)と南の天王祭(荏原神社)の祭礼が同じ日で、 両社の神輿がこの橋で行きあった事から、行合橋とも言われた..
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品川宿本陣跡(聖蹟公園)品川宿は、東海道53次の第1番目の宿場街として発達し、江戸4宿の1つ。 現在、本陣の跡地は公園となり、明治元年(1868年)に明治天皇の行幸の 際の行在所となったことに因み、 聖蹟公園と命名されて..
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一心寺東京都品川区北品川にある、真言宗智山派のお寺で、ご本尊は不動明王。 安政2年(1855年)に、大老井伊直弼により開山したと伝えられ、 江戸三十三観音霊場30番札所、東海道七福神の寿老人です。
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土蔵相模跡品川宿にあった「相模屋」という高級妓楼は、土蔵づくりから「土蔵相模」と 通称されていて、高杉晋作など幕末の志士たちの会合場所としてよく使われ、 また、桜田門外の変を起こした浪士たちも、前夜ここに投..
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問答河岸跡三代将軍家光がこの地にあった東海寺を訪ね、その帰り際に沢庵禅師と 「海が近いのに、東(遠)海寺とはこれいかに」 「大軍を率いても将(小)軍と言うがごとし」 と問答を交わした地とのことです。