記事「東洲斎写楽」 の 検索結果 77 件
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児雷也 4 鬼武・十年行方知れず(承前) 読者の皆さんも、写楽研究家たちにとって無くてはならない唯一の同時代資料に『諸家人名江戸方角分』という写本があることはご存知かも知れませんが、その「浅草」の項に「『戯作者』印 鬼武 千光院..
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児雷也 3 写楽と重なる活動時期(承前) さて、自来也の生みの親とも言うべき感和亭鬼武ですが、江戸期の大多数の戯作者がそうであるように、この人も又、その詳しい素性や経歴などが知られていません。幾つかの作品を通して何とか実像の一部..
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写楽は天麩羅を食べたか江戸後期の戯作者・山東京山(1769~1858)が最晩年になって表わした随筆集『蜘蛛の糸巻』で、人気作家で実の兄でもある山東京伝(1761~1816)に纏わる面白い逸話を書き残している。 兄弟の住ん..
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写楽の探し方 5 屋敷内で浮世絵?(承前) 年出来事寛政三年六月 暁雲院釈素元居士 当時 八丁堀 松平阿波守様内居住 斎藤右与衛門 事寛政十年十二月 貞楽院釈善信女 南八丁堀 松平阿波様内 斎藤重郎兵衛 祖母寛政十一年三月 釈智閑童..
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写楽の探し方 3 幕府の調査資料を精査(承前) 三つ目の手がかり=江戸幕府が終焉し、明治新政府となった折、引き継がれた「公文書」は夥しい数にのぼるものと思われますが、その中には、江戸期に調べられ報告された「個人情報」も含まれているはず..
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小説・写楽 11 「お楽」に生写し(承前) また、費用についても『お上からの内々のお達しで、既に役者の給金を半分近くに減らすことが決まっている』とのことで、初版の摺り上がりは全て都伝内が買い取ることで話がついた。構図や役者の表情に..
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小説・写楽 10(承前) 人づてに聞いた所では、裏店にくすぶってはいるものの、気は確かで筆も棄てた訳ではないらしい。都伝内はその時、何も深く考えず適当に歌舞伎恒例の演題と、思い付く役者連中の配役を一通り書き出し、..
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小説・写楽 9 湖龍斎からの書面(承前) 30枚近い下絵を部屋中に広げ、膳も取り払った座敷の中央に座り込んだ山東京伝が、ため息混じりに呟いた。 「へーっ、これが湖龍斎の手とはねぇ、それに、まだお江戸にいたとは知らなかった、..
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小説・写楽 8 伝内の秘密兵器(承前) 山東京伝の機嫌も少しは良くなったらしく、盃を茶碗に取り替えて話を聞く様子。座元は先ほどから膝の横に置いてあった風呂敷包みをほどき、その中から選った一枚の下絵を取り出し、二人の真ん中に押し..
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小説・写楽 7 蘇我祭り(承前) 出版に到るまでの経緯や、出版にあたっての宣伝、本の仕様などについても蔦屋重三郎は、すべて自身の一存でございます、と繰り返し証言したのだが、役人たちは鼻先で笑うように退け、『京伝が、既に、..
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小説・写楽 6 曲亭馬琴の登場(承前) 「ああ、伝内さんには、まだ顔見世を済ませてなかったっけなぁ。 俺の弟分で、今、重さんとこに厄介かけている滝沢だ。ひとつ、ご贔屓に。 悪いな、酒を三本、いや五本もってきておくれ..
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小説・写楽 5 曾我物で勝負(承前) 「いや、先生、そうじゃないんで。おかげさまで役者連中との掛け合いも終わり、 大工・左官の手配もなんとか目処がついたもので、この五月には、 やっと芝居興行が打てそうな塩梅」 ..
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