記事「東海道」 の 検索結果 1265 件
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芝生追分横浜市保土ケ谷区宮田町の松原商店街から北に少しの処、旧東海道 沿いにあるのが芝生追分。追分は一般に道の分岐点を意味しますが、この 芝生の追分は東海道と八王子道(絹の道)が分かれる場所です。
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浅間神社(横浜)横浜市西区浅間町に鎮座し、承暦4年(1080年)に源頼朝が浅間神社を勧請して造営されたと伝えられる神社。祭神は木花咲耶姫命で相殿は天照大神と武甕槌命。江戸時代は東海道の神奈川宿と程ヶ谷宿の間の宿でした..
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三条大橋京都市を流れる鴨川に架かり三条通を通す橋で、慶長6年(1601年)に 徳川家康によって定められた東海道五十三次の西の起点となった橋です。 現在の橋は昭和25年(1950年)につくられたとのことです。
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三条大橋石柱三条大橋の西の袂に残されている「天正十七年津国御影」「七月/吉日」 と刻まれている石柱。天正期の橋は大正元年(1912年)に架け替えられま したが、その時不要になった石柱は京都市内の庭石に用いられたそ..
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弥次喜多像(三条大橋)東海道の終着点である京都の三条大橋の西橋詰にある弥次喜多の像。 弥次さん喜多さんは十返舎一九作の「東海道中膝栗毛」に登場するお馴染みの人気者の二人で、江戸から東海道を下り京までの珍道中をしました。
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寺尾稲荷道道標横浜市鶴見区の鶴見神社の境内にある寺尾稲荷道道標の実物。現在の鶴見図書館の近くにある旧東海 道沿いの寺尾稲荷道道標は複製品で、 この実物が鶴見神社内に保存されています。
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信楽茶屋跡信楽茶屋は東海道の立場として栄えた鶴見村の中で最も大きな茶店でした。 「江戸名所図絵」にも描かれ、竹皮に包んだ梅干が好評だったとのことです。 立場とは宿と宿との間の休憩場で、茶屋や売店が設けられていた..
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寺尾稲荷道道標旧東海道と寺尾稲荷道との分岐点を示す道標で、横浜市鶴見区の旧東海道沿いにあります。 寺尾稲荷社(現・馬場稲荷社)は馬術上達や馬上安全の祈願で知られ、江 戸からの参拝者も多かったそうです。
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市場一里塚お江戸日本橋から5番目、つまり5里のところにあった一里塚。一里塚には 榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるような配慮があったそうです。また、 その樹木の根は塚の崩壊を防ぐ役割も持っていたとの..
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里程標(梅屋敷)旧東海道沿いの日本橋から約12.6km地点にあった里程標。 東京都大田区の聖蹟鎌田梅屋敷公園内に復元されたもので、「距日本橋三里八丁 蒲田村 山本屋」と彫られています。
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美浜通り東京都大田区大森本町二丁目1番付近から大森東1丁目4番付近にかけ ての通り。第一京浜国道建設工事の際に旧東海道が拡張されましたが、 商店街の美原通を避けたため、今でも旧東海道の面影が残されています。
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鈴ヶ森刑場跡鈴ヶ森刑場は現在の東京都品川区南大井、当時の東海道沿いの 江戸の入り口とも言える場所に、慶安4年(1651年)に開設された処刑場。 丸橋忠弥、平井権八、天一坊、八百屋お七等の人物がここで処刑されました..