記事「柳田国男」 の 検索結果 90 件
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『海上の道』 トラジャの水田とニワトリ2010年のインドネシア・トラジャへの旅行から。 《トラジャの水田》: 2010年3月14日の写真。 『海上の道』を読んでいると思い出す。 まるで日本のどこかの山村の風景のようだ。..
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殺生の快楽柳田国男は最初の著書『後狩詞記』の中でこう言っている。 >大番役に京へ上るたびに、むくつけき田舎侍と笑われても、華奢風流の香も嗅がずに、年の代るを待ちかねて急いで故郷に帰る..
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《地方地方の季節感覚》「我々だけは子供らしいと笑われてもよい。あんな傾向からはわざと離背しようとするのである。そうして歴史家たちに疎んぜられている歴史を捜して、もう少し楽々とした地方地方の文芸の、成長する余地を見つけ..
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もろともにあはれと思へ(奥の細道)>岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積(つむ)雪の下に埋(うづもれ)て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰(ここ)にかほるがごとし..
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津波と焚火 (柳田国男『雪国の春』)柳田国男が「二十五箇年後」(『雪国の春』、「豆手帖より」大正九年)という随筆の中で語っていることを紹介しておきたい。次の2段落である。 > 唐桑浜の宿という部落では、家の数が四十戸足らずの..
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柳田国男の著書『雪国の春』(東北地域学)柳田国男の『雪国の春』(昭和三年刊)はとても愉しい本だ。どう説明したら良いのだろう? 例えば京都では今日でも「柊の枝に鰯の頭」が節分の夜の行事になっている。これと同じ主旨の行事を柳田国男は菅..
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柳田国男の下北 (『雪国の春』3)柳田国男の著書、『雪国の春』に収められた文章に「草木と海と」という大正十五年に書かれたものがある。論文「雪国の春」の少し後に書かれたものだろうか。『太陽』の六月号に掲載されたものだ。この文章は、地..
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柳田国男の火の思想---飛騨弁の「ゴテ」 (『雪国の春』2)一昨日の猿の来訪をきっかけに考えることは多い。柳田国男の『雪国の春』の中の、火についての考察もまた、火について根本的なところから考えさせてくれるものだ。柳田はこう言う。 >人間が家を持ち家族..
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赤松林に夕日が射して赤松林に夕日が射して一瞬きれいだったのだが。その、やや上の方の日差しの揺らぎが。次の瞬間にはもそれがどこだったのかわからなくなる。最初に一枚撮った時には、何かが写っている。それがこの写真。次にズ..
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願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ --- 柳田国男の位置柳田国男の『遠野物語』については、錚々たる方々が取組んでいるので、タイトルに掲げた「檄」についてにも十分な論及がされていることと思う。わたしなどが口を出すほどのこともないのだと思うが、とりあえず..
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先週の「民俗学」の授業から(『後狩詞記』収録の「狩之巻」のなかの呪文)書いておこう。『後狩詞記』収録の「狩之巻」のなかの言葉。 「ぐうぐせひのものたすくるといへどたすからず 人に食して仏果に至れ」。 これはまさに「諏訪の勘文」のなまったものだろう。 同..
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新島襄とサンカの煙 1915年11月7日、若王子山1915年11月7日、この日新島襄を慕う人々が、彼の墓の掃除をしたというようなことはないのだろうか? 11月7日(1888年)は、彼が『同志社大学設立ノ旨意』を全国の主要な雑誌・新聞に発表した日だ..