記事「根岸」 の 検索結果 174 件
-
芋坂の今昔芋坂は、谷中霊園の安立院(天王寺の横)の下から羽二重団子の本店(荒川区東日暮里5-54-3)の 横を通り、善性寺の門前へとつながる坂で、坂の名前の由来は、「昔、ここで自然薯が取れたことから」 ..
-
老舗揃いの柳通り台東区、根岸の柳通り、根岸3丁目と4丁目の境目の通りである。 歩道には柳の木の植栽が続き、柳通りと呼ばれている。 写真の左側が根岸4丁目、右側が根岸3丁目である。写真の横断歩道の位置から後方へ..
-
明治の残る台東区根岸東京の台東区、全国的に有名な「浅草と上野」の2大観光地を有する区である。 浅草と上野とを結ぶ幹線道路の一つである言問通りを、浅草から上野へと向かい、 昭和通り(国道4号線:日光街道)と交差する..
-
子規庵に山吹の花台東区根岸の子規庵、その前の路地を通ったところ、 黄色い山吹の花が塀から顔を出して咲いていました。 そこで、つたない一句詠んでみました。「子規庵の山吹の花塀の外」
-
蔵のある街角(根岸界隈)蔵のある風景、東京台東区、根岸3丁目の路地裏です。 根岸界隈には、まだまだ昔の香りが沢山残っています。 蔵の上の扉を開けて空気の入れ換えをされているようでしたので、 たぶん現在も利用されてい..
-
上野桜木あたり上野桜木2丁目、谷中霊園に隣接する狭いエリアですが、落ち着いた住宅地であり、 そこには戦前の名残りが色濃く残っていました。 写真は、下から上へ①→③の順で上野方面に向かっています。 日暮里駅..
-
竹垣の塀(子規庵界隈)正岡子規が明治27年、根岸界隈を詠んだ句に「梅さくや竹垣杉垣小柴垣」というのがありますが、 この句にぴったりの竹垣の家が、子規庵(子規旧居跡)近く(根岸2丁目)にありました。 また、その門には..
-
ムスカリの花谷中、御隠殿坂の上、日当たりの良い石垣の脇の植栽に、 ゆり科のムスカリ(別名グレープヒヤシンス)の花が可憐に咲いていました。 原産地は、ヨーロッパ、地中海沿岸や西南アジアで、寒さに強く丈夫だそ..
-
昔の芋坂この写真の坂は昔の芋坂の一部です。JRの線路で断ち切られていますので、 今では、利用するのは住民の方のみのようですが、坂らしいきれいな坂です。 幕末、官軍に敗れ追われた大勢の彰義隊が、この芋坂..
-
御隠殿跡(根岸薬師寺)根岸薬師寺、江戸時代の上野寛永寺の門主、輪王寺宮の別邸「御隠殿」があったところ だそうです。根岸薬師寺には、史跡の由来の説明板が立っていて大変勉強になりました。 台東区教育委員会による史跡の説..
-
林檎の樹(根岸のカフェ)歴史と文化の街、台東区根岸には良いお食事処がたくさんあります。 前回、洋食で超有名な香味屋さんをご紹介したので、 今回は気軽に入れる”軽食&カフェー”の「林檎の樹」さんを紹介します。 フレン..
-
寛永寺坂と石仏小雨に煙る寛永寺坂、言問通りの上野桜木「東叡山浄名院」の前あたりから根岸へと 右へカーブしながら下っていきます。根岸側の橋の両側に歩行者用の階段がついています。 道標の横に、宝暦13年(西暦で..