記事「樋口兼光」 の 検索結果 8 件
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「新・平家物語」第292回「京乃木曾殿の巻(病鏡)」葵と語る義仲のもとに宇治川の戦い劣勢の知らせが届くsin-heike292.mp3 ↑吉川英治「新・平家物語」の朗読・解説の音声ファイルです。 再生ボタンをクリックして聴くことができます。(各回10分程度) 右端のDLボタンからダウンロードして..
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鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(84)-後白河院政・三度目の復活-西暦1184年(寿永三年)1月20日、朝廷・院を制圧し、京都を実効支配していた源義仲は、鎌倉より派遣された源範頼・義経軍約五万五千兵と宇治川付近で戦闘になり、大敗しました。 義仲自身は京都を脱出..
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鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(76)-法住寺合戦・開戦-西暦1183年(寿永二年)11月17日、院庁である法住寺を要塞化し、美濃源氏・土岐氏、摂津源氏・多田氏を味方につけ、自勢力を作り上げた策謀家・後白河法皇は、ついに源義仲に最後通牒を突きつけました。 ..
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鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(74)-根くらべ-西暦1183年(寿永二年)閏10月14日、平氏追討の院宣を受けて西国に出向いていた源義仲が、軍勢を率いて京都に戻ってきました。 帰還の理由は、京都に留守居役として残していた樋口兼光から、「行家の..
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鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(73)-義仲・激昂する-西暦1183年(寿永二年)10月9日、後白河院は、右大臣・九条兼実の薦めに従い、小除目(人事)を発表し、源頼朝を従五位下に復位させ、罪人の地位を取り消しました。ただし、この小除目は官位のみの記載で、職..
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鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(72)-法皇と兼実-源義仲が瀬尾兼康の反乱を沈めている頃、京都では後白河法皇が暗躍しまくっていました。 法皇は、去る10月1日頃に中原康定が持ち帰った源頼朝の書状を読み、神仏への敬意、朝廷への敬意等、物事の筋目の立..
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鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(63)-篠原の戦いと斎藤実盛-西暦1183年(寿永二年)6月1日、倶利伽羅峠の戦い、志保山の戦いで敗北した平家追討軍は在地の豪族の力を結集し、追っ手として追撃してくる源義仲(木曽義仲)を迎え撃つ体制をとっていました。 その中..
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鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(60)-倶利伽羅峠の戦い-西暦1183年(寿永二年)5月9日、平家北陸征討軍先発隊の平盛俊は、源義仲四天王の一人である今井兼平と越中国般若野で対峙し、夜襲を受けて敗退しました。 敗退した盛俊は、本体である維盛と合流し、敵..
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