記事「欧州戦記」 の 検索結果 23 件
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バルバロッサ作戦〈下〉4000キロの戦線1942年8月、ドイツ軍は14か月にわたる戦闘の果て、ソ連領内を東方へはるか1500km進出、カフカスでは過去2000年にわたって、いかなる侵略者も足を踏み入れたことのないアジアの入り口、カスピ海..
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捕虜―誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路拷問、強制労働、飢餓、そして大脱走…。第二次大戦中、連合軍に捕らえられた1100万の元ドイツ軍将兵たちが体験した驚くべき収容所生活とは!?パウル・カレルの知られざる最高傑作。
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<独ソ戦史> 焦土作戦〈上〉 (文庫)1943年7月5日、ヒトラーは戦車・突撃砲3000両、航空機1800機、28個師団をもって、ソ連軍・クルスク突出部に対し「城塞作戦」を発動した。ドイツ軍、ソ連軍、双方が激突したクルスク大会戦を転機とし..
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<独ソ戦史> 焦土作戦〈中〉 (文庫)レニングラードを中心とした北方戦線は、1943年春の「泥将軍」によって中断され、その予備兵力は「城塞作戦」クルスクへと向けられた。だが、ヒトラーが起死回生の賭けに出たこの一戦の後、ドイツ軍の戦力は急激..
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<独ソ戦史> 焦土作戦〈下〉 (文庫)ソ連軍のドニエプル渡河は、即ちドイツ軍のウクライナ、クリミア喪失を意味した。穀倉、油田、黒海…要衝地帯を抱える南ロシアを死守せんとするドイツ軍。地滑り的敗退の中でも、必死に活路を求めていくが、1944..
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<独ソ戦史> バルバロッサ作戦〈上〉 (文庫)1941年6月22日、ヒトラーのドイツ軍は兵力300万の大部隊をもって、ソ連軍に襲いかかった。マンシュタインをはじめとする司令官から一兵卒にいたるまで、1000人を越える人々にインタビューし、戦闘日誌..
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<独ソ戦史> バルバロッサ作戦〈中〉 (文庫)レニングラードまで快進撃を続けたドイツ軍であったが、ヒトラーの攻撃中止命令により、戦力の大部分はモスクワ正面へと向けられてしまう。そして、ドイツ軍がもっとも恐れていた冬将軍がやってきた。モスクワもレニ..
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<独ソ戦史> バルバロッサ作戦〈下〉 (文庫)ソ連軍の冬期大反攻を食い止めたドイツ軍は、1942年夏、カフカス油田地帯の占領を企図し、新たな攻勢作戦「青」を発動する。「電撃戦」の再来を思わせる快進撃ののち、ドイツ軍部隊はスターリングラードとカフカ..
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擲弾兵―パンツァーマイヤー戦記「戦車、前へ!我々は今、悪魔のように前進を開始する」緒戦のポーランド戦からノルマンディーまで、その伝説的な戦いぶりから『戦車(パンツァー)マイヤー』との異名をとった武装SS屈指の名指揮官クルト・マイヤ..
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攻防900日〈上〉 : 包囲されたレニングラード1941年6月22日、レニングラードの悲劇は始まった。この日、独ソ不可侵条約を一方的に破棄したドイツ軍はソ連に侵攻、300万を超えるナチ精鋭がレニングラードに押し寄せた。怒涛の勢いで迫る大軍に防衛線は..
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攻防900日〈下〉 : 包囲されたレニングラードなぜ、レニングラードはなすすべなく包囲されてしまったのか?予兆はあった。侵攻の半年以上前からドイツによるソ連領空侵犯、国境付近への戦車部隊集結などが報告されていた。諸外国からは、切迫した独ソ情勢につい..
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