記事「歴史人」 の 検索結果 156 件
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御誕生寺毎年この時期は忙しいのですが、その分遠出が出来ず、ストレスをためまくる僕。 そういう時には仕事に眼をつむって、ひたすら遠くに逃避ドライブが発散方法。。ただその分、仕事をためるので後で四苦八苦。。そう..
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和倉温泉駅周辺和倉温泉駅は名前の通り観光地・和倉温泉の玄関口になります。北にまっすぐ1キロほど進むと七尾西湾になり、左手に石川でも一番元気な温泉地・和倉温泉、右手に行けば能登島大橋を渡って能登島に行けます。駅か..
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本行寺② 隠れキリシタンの寺昨昨年(H29)2月、高山右近の列福式が大阪で行われ、福者の宣言がされた際に長々と3部作を書きました。 高山右近記念公園① ②高山右近 前田利長時代 高山右近の碑③ 高山右近像と本行寺..
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本行寺① 丸山(円山)梅雪実を言えば、山の寺寺院群に訪れた本来の目的地はこの本行寺でした。ところが勇んで来てみれば、住職は裏山の作業中で不在で、用事の人は携帯までの残し紙が玄関に・・・どうもこういうのに電話するのは苦手なんです..
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小松(梯)天満宮もう昨年の話ですが、嫁さんが夏に足を骨折して約2カ月ちょいで仕事に復帰してからも、まだまだ歩くのには支障があったようで、しばらく送り迎えをしてあげてたんですが、2カ月ほどで復調。足慣らしもあるからと歩..
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椿原天満宮② 稲荷社 ~ 牛坂八幡神社椿原天満宮は丘陵の断崖の斜面を利用した長い石段が表参道になりますが、天神坂に面した山裾を巻くようにもう一本の脇参道があります。ちょうど、石段の横から進むと小さな祠堂・小祠を見ながら進めます。最初は..
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椿原天満宮①椿原天満宮 右の道が天神坂 この神社に関しては、以前に一度アップしています。永仁5年(1298年)に山崎(?)の地・富樫丹波邸(?)に天神社として開基され、観応年間(1350~1352年)に当地に遷..
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桑島化石壁(恐竜壁)桑島の大栃のある百合谷橋を渡って進むと広々した広場の三叉路に出ますが、右折すると谷川に沿った大嵐山への登山道の入り口駐車場に行けます。途中には近年発見された立木の珪化木があり、大嵐山の登山道の途中には..
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桑島の大栃白山麓には前回紹介した日本最大の栃ノ木「太田の大栃」のような、栃ノ木の巨樹が幾つか点在していますが、そのほとんどが山間の険しい位置にあります。ただ、唯一の例外が今回の「桑島の大栃」になります。 ..
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長壽寺③ 八百屋お七の供養塔長壽寺の見所も三作目、、、、境内には立派な供養塔がありますが、なんと八百屋お七の供養塔と伝わっています。 長壽寺の案内板・・・当山八百屋お七縁起 合掌 八百屋お七の父親は七尾出身で、加..
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長壽寺② 裏千家と宮崎彦九郎義一(寒雉)長壽寺には、他にも注目に値するものがあります。まずはこの鐘楼堂の梵鐘(釣り鐘)。 以前ご紹介したことが有りますが、加賀藩の鋳物師で宮崎彦九郎儀一(初代寒雉)の作になります。 以前に宮崎彦九..
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長壽寺① 能登長谷川家菩提寺 長谷川等伯天正9年(1581年)前田利家が織田信長から能登23万石の領有を許されて、能登に入部すると政務をとるために山城で不便な七尾城から平地で東西にある御祓川と北の七尾湾に囲まれた小丸山城を翌年に築城していま..