記事「歴史」 の 検索結果 41465 件
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1397 葛籠尾崎=長浜市西浅井町菅浦(滋賀県)北近江の秘境であるかもしれぬ岬は秘境であるがゆえに遠望葛籠尾(つづらお)崎は、海津大崎と並んで湖北の湖面に突き出ているが、東の葛籠尾崎のほうが南に向かってより張り出している。 市境のトンネルを出ると、湖西線の永原駅がある。長浜市の西浅井地域は、その駅が..
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1395 船木崎=高島市安曇川町北船木(滋賀県)琵琶湖畔でいちばんでっかい出っ張りのその先っちょがここおそらく、高島市と聞いてすぐにこの場所の位置がピンとくる人は少なかろう。もっとも、この頃では合併でやたらめったら市が増えているので、それはここだけに限ったことでもないのだが、でんでんむしも、安曇川(..
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1393 柳ヶ崎=大津市柳が崎(滋賀県)JR湖西線の“大津京”という駅名は妥当か否かの歴史論争も東海道新幹線を降りた京都では、すぐに湖西線に乗り換え、大津京駅までやってきた。京都駅が始発の、この路線に乗るのもひさしぶり。記憶ではかつてはさびれた支線の一つに過ぎなかったが、敦賀までの直通快速もあ..
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1392 茶ヶ崎=大津市茶が崎(滋賀県)皇子山や皇子が丘の“皇子”とはいったい誰のことなのか自分ではまったく運動もしないし、ジョギングはおろかラジオ体操もしないのに、なぜか他人が走るのを見ているのは好きなので、“びわ湖毎日マラソン”も毎年3月の声を聞くと春を感じさせる琵琶湖の風景を見るのが..
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番外:“抜舟の場”から神湊へ=八丈町三根(東京都)“流人の島八丈島”が定着するのは江戸期からのことだが…ついつい余計なことに手を出して、後で後悔することはよくある。忙しいときに限ってまた、そういう余計なことを始めてしまったりするのはなんでだろう。 AdobeのLightroomのデータが重くなったので..
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1367 船戸鼻=八丈町大賀郷(東京都)またしても船と名のついた岬は南原千畳敷海岸の隣というかその中に…「船」のついた岬が続くが、ここも決して船が寄せるに適した場所とは思えない。なにしろ海に溶岩がなだれ込んだ、そのままが固まって、黒い広い岩場のだたなかに、その岬の名は記されているからだ。 船付鼻といい..
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1365 今崎=八丈町大賀郷(東京都)なんで“今”なのかはわからないが今崎で遠い昔のことを考えてみた八丈小島やひょうたんの南のふくらみをつくっている東山(三原山)の噴火形成からは、だいたい数万年くらいも遅れて出現したのが、西山(八丈富士)である。 先にできていた東山と後からできた西山が、その後に連..
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1348 乃生岬=坂出市王越町乃生(香川県)坂出市街はほとんど海だったと考えられ松山の津は雌山雄山の東あたり王越のこどもたちが、松山小学校までどのようにして通学しているのかは知らない。あるいはスクールバスでもあるのかもしれないが、弓弦羽=王越は日祝日運休となる琴参バス王越線で通学するとすれば、時間がいささ..
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1347 宮ノ鼻=坂出市王越町乃生(香川県)崇徳上皇かと思えばそれは違っていてここは神功皇后が上陸したところだったが…大崎ノ鼻を回りこんで、バスの右手車窓に木沢湾が現れると、その向こう側に宮ノ鼻が見えてくる。というより、このときにはまだ目立っているのは遠くの乃生岬のほうで、宮ノ鼻はその手前に引っ込んだ影のようになっ..
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1343 神在鼻=高松市神在川窪町(香川県)証拠はないんだけどやっぱりここも「こうざい」だったのではと疑っている菅原道真の時代からは約220年も下って承久の乱になるわけだから、香西氏が香西を名乗ると決めたときには、この地域は「笠居」だったことになる。室町後期の頃までは、中讃岐の中心はこの笠居付近であったらしい..
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1342 牛ノ鼻=高松市神在川窪町(香川県)「憂しの鼻」が「憂岬(うしのはな)」になりこの名になって香西浦に残った氏名(姓名)と地名の関わりは、どの地域にも結構色濃くあるものだが、予讃線の「香西駅」や「香西車庫行き」というバス路線をみたときに、これもきっと人名だなと思ったのは、その読みが「かさい」ではなく「こう..
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1341 長崎ノ鼻=高松市屋島西町(香川県)“源平屋島古戦場”はいったいどこなのかという昔からの疑問解明に挑んでみた(大げさ!)屋島の古戦場って、いったいどこが主戦場だったのだろうか。そういう漠然とした疑問をもちながら、これまでそれを究明しようというほど積極的な意思もなく,そのままになっていた。 昔の地図では、古戦場は刀がぶ..