記事「歴史」 の 検索結果 41064 件
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899 也良岬・土手崎・大波戸崎(能古島)=福岡市西区能古(福岡県)元寇の海はまた防人の海でもあった文永の役の翌年には、クビライは再び使者を出して、日本が元帝国に服属することを迫る。この使者が乗った船は、長門の室津へ着く。現在の下関市豊浦町(川棚温泉の近く)なのだが、前回の博多湾の今津へではなく、..
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898 浜崎・白鳥崎(能古島)=福岡市西区能古(福岡県)蒙古襲来の海に浮かぶ島の南岸を眺めつつ古を想う妙見岬の北に向かい合っているのは、能古島(のこのしま)の南端にあたる浜崎である。北の志賀島と並んで、博多湾を守るように湾中央でサツマイモのような形をして南北に長いこの島は、南北3.5キロ、東西2キロ..
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897 妙見岬=福岡市西区小戸2丁目(福岡県)20キロに渡って海岸に石を積み築地(ついじ)を敷いた元寇防塁福岡空港から地下鉄に乗って博多の中心部に向かおうとすると、一部の築肥線への乗り入れ便を除くと、その多くが姪浜行きとなっている。駅名は「姪浜」と表示して「めいのはま」と読むのだが、住居表示には「の」が..
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896 狩尾岬=遠賀郡芦屋町大字山鹿(福岡県)赤い砂浜と緑の岬までで遠賀郡の岬は終わりで2012年もおしまい車やタクシーに乗っていると、不便なこともある。狩尾岬は、洞山の北、柏原漁港に続いてあるのだが、岬の南側からの写真も、洞山の小島の写真も撮ることができなかったので、東側からの写真のみになった。 狩尾岬..
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895 洞山=遠賀郡芦屋町大字山鹿(福岡県)山鹿流とは関係がないこの山鹿ではホラもあるけど茶釜は重文級今では同じ芦屋町の町内だが、昔は遠賀川左岸の蘆屋と右岸の山鹿は、別の村であった。これは、近代の橋が全部なかった時代のことを考えれば、容易にうなづけることであろう。 ところが、『筑前国続風土記』による..
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894 浪懸ノ岸=遠賀郡芦屋町大字山鹿(福岡県)『筑後国続風土記』の記述をたぐって“みなし岬”の由来を探る波津城に続いて、また“みなし岬”で、今度は「岸」ときた。 遠賀川の河口に架かるその名もなみかけ大橋の上から、右岸に張り出した山の崖が浪懸ノ岸なのだが、こうしてみるととくにどうってことのないところによ..
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888 楯崎=福津市渡(福岡県)津屋崎千軒も塩田も伊能忠敬も装飾古墳も月刊『太陽』も玄海彫刻の岬恋の浦も…曽根の鼻から北へ続く断崖は、およそ2キロにわたって津屋崎の西にある渡の半島南部の海岸線を描いていて、その北の端に楯崎はある。道路から楯崎が見える適地は、ほぼこの場所しかないので、写真はいくら撮っても..
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886 磯崎鼻=糟屋郡新宮町湊(福岡県)途中で打ち切られて終着駅になった駅から長い砂浜の岬と沖の相島を見に行く地下鉄にも接続している西鉄貝塚線で、和白から干潟の海に別れを告げ、さらに北へ行く。すると、三苫、美和台という大きな住宅団地が広がる台地がある。その団地を載せた台地が終わるところの西の端は、玄界灘に面..
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番外:志賀島=福岡市東区(福岡県)「金印の島」には実は古い長い歴史があり龍神族の栄えた場所だった志賀島は、1971(昭和46)年に福岡市に編入される前までは、糟屋郡志賀町であった。周囲が約11キロ、面積は約5平方キロの志賀島は、最高点が169メートルで、ほぼ100メートル前後のでこぼこが、全島..
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883 大崎=福岡市東区勝馬(福岡県)島の岬はふたつだけでその二番目が「休暇村志賀島」のエリアにある島最西端の岬金印塚を過ぎ、蒙古塚を過ぎ、弘の集落を過ぎると見えてくるのが大崎である。志賀島を周回する道路は、なべて高度差もなく海が見える海岸のそばを走っているのだが、唯一の例外がこの大崎のところで、ここだけ高さ..
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882 南ノ浦岬=福岡市東区志賀島(福岡県)想像していたのとはかなり違っていた「志賀島の金印」出土の地おそらく、「志賀島の金印」を知らないという日本人は、かなり少ないのではなかろうか。中学生になって、わくわくするような期待とともに開いた教科書の、始めのほうにそれは出てくる。 なんだかよくわからないけ..
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880 湯ノ崎=茅部郡森町鷲ノ木町(北海道)噴火湾岸の岬めぐりは榎本武揚と“いかめし”にて全巻の終わり噴火湾岸の西側には、岬がない。この湯ノ崎が、湾の南側ではいちばん端の岬になる。湾岸を北上して八雲を過ぎ、長万部を過ぎていくと、次の岬は湾の北側、虻田郡豊浦町字礼文華付近までいかないとない。だから、噴..