記事「法話」 の 検索結果 175 件
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五月号寺報・宗教の風景「五月号寺報・宗教の風景」 「宗教」という語は、幕末期に翻訳されたものです。「再び結びつける」という意味があるそうで、そこから、神と人を再び結びつけることと理解されていました。「神と人..
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釣月耕雲薫風の時節、コロナ禍も漸く終息へ向かっているようだ。闇路を抜けたかのようだが、然し、一寸先が闇であるのは今も変わりない。自己を灯明として闇の世界を生きて行けとは、釈尊の時代からの人生の指..
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法話集『両箇の月』 ⑶仏のいのちを生きる 最終回・ここに目覚める「ここに目覚める」 人生、泰然自若として苦難に向かってゆくことは容易ではありません。朝起きてから夜眠るまで気にくわぬことが山ほどあります。洗面の水が冷た過ぎたり、風呂の湯が熱すぎたり、食..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・闇を生きる「闇を生きる」 一寸先は闇と言われます。諸行無常なる人生の歩みは、まさに闇を手探りして歩むようなもの。「闇」とは何か?わが思いを越えて展開する生死去来、時節因縁、諸法実相。それをしも..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・見えて来るもの「見えて来るもの」 生きながらえて見えてくるものがあります。また、見えなくなってしまったものもあります。失くしたことで見えるもの。負けたことで知らされること。勝ったことで見えなくなってし..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・仏道の真偽「仏道の真偽」 道元禅師の教えに、「仏道の真偽」を見分けるには、「道」は「行」を伴うものであること、そして、「一切衆生とともにあること」が「仏道」の本義にかなうものであるとお示しになって..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・仏のいのちを生きる「仏のいのちを生きる」 私たちはこの世に生まれる事実を、自分が生まれる以前から存在している世界へ飛び出して来たかのごとくに捉えています。あたかも人生という客観的舞台へ登場するように。私が..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・仏道の救い「仏道の救い」 「摩訶不思議」という言葉があります。私が私として生まれる確率は約二百五十兆分の一になるということです。わが計らいを越えた奇跡たる所以です。いのちは思いを越えた世界からや..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・いのちに寄り添う「いのちに寄り添う」 人生という旅は一人では心もとないものですが、誰も代って私の生老病死を生きてはくれないという面では、誰もが一人旅であるのが真相です。そもそもが、支え支えられつつ、それ..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・生死に向き合う「生死に向き合う」 私どもは時に隣人として、時に親族として「死者」と向き合うことがあります。お坊さんは一般の方々より「死」に関わることの多い立場かもしれません。正確には「死者を送る」「..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・中道という生き方「中道という生き方」 「中道」というお釈迦様以来の生き方があります。「中道」とはどっちつかずの、いい加減さを勧めている訳ではありません。「的中」という言葉もあるように、まさに事に「..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・出家という生き方「出家という生き方」 「出家」というひとつの「生き方」があります。「家」を出る。「家」を離れるとはどういうことなのでしょうか。人は人として生まれ落ち、人になるために生きていくというのが真..
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