記事「満洲」 の 検索結果 206 件
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旧満州・安東からの脱出行 林 暢さん④「私の戦争体験」-開拓団、共産軍治下の市民生活、故国への引き揚げー 織物工場は、日本人居住区の中心部から約六キロメートルの町外れにあり、工場内に狭いながらも居室を準備するというので、社宅明け..
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旧満州・安東からの脱出行 林 暢さん③「私の戦争体験」-開拓団、共産軍治下の市民生活、故国への引き揚げー 父は満洲紡績という富士紡の国策会社の安東工場長で、遼陽にあった本社工場の染色工場長を兼ねていた。月に一回、10日位は本社へ..
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旧満州・安東からの脱出行 林 暢さん②「私の戦争体験」ー開拓団、共産軍治下の市民生活、故国への引き揚げー 共産党治下の市民生活の記 垢と煤煙にまいれ、身には数十匹のシラミとともに14日深夜、我が家に戻ると、母と..
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旧満州・安東からの脱出行 林 暢さん①1992年、東京都立両国高校・OB(48回生=昭和7年生まれ)らが文集を発刊。題して「私たちの戦争体験」。私のクラスメート林 暢(はやしのぶ)さんも筆をとった。あの年、旧満州安東中学3年生が苦難の逃..
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ソ連兵「性接待」被害を刻む 満洲黒川開拓団旧満州(中国東北部)に開拓団としてわたり現地で亡くなった女性を悼む岐阜県白川町の「乙女の碑」で18日、新たな碑文の除幕式が行われた。終戦後、団の安全の見返りに旧ソ連兵への「性接待を強いたことを明記し..
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30回になった「江東区高齢者集会」 回顧 ③第19回「江東区高齢者集会」(2007年12月2日)の前夜祭で、中国残留孤児を描いたドキュメント映画「花の夢」が上映された。江東区に在住の栗原貞子さん(81)。終戦時満洲での苦難の出来事をつづった実..
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旧満州育ちの原罪意識 山田洋次東京新聞の夕刊が身に染みる。、映画監督の山田洋次さんのエッセイが飛び込んできて目を見張った。同じ旧満州に育ったものとして常に意識していた「原在意識」を共有できたからだ。二年先輩で大連に居住していた山..
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「時を継ぐ」 劇団民芸公演東洋一とうたわれた映画撮影所、満州映画協会”満映”。戦中、日本から大陸へとわたった多くの映画人たちは、1945年8月15日の敗戦を境に過酷な運命をしいられることになる。 彼女はた..
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もう一人の「満洲っ子」 DOCU「今日、9月18日(チュー・イー・パー)は1931年、柳条湖爆発の謀略により、日本が満洲侵略を始めた最初の日。中国東北部に住む中国人は幼稚園でも『怨みの日を忘れるな』と教えられるという日です。私も9..
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波乱の昭和を生き抜いた 母♪「山の淋しい湖に ひとり来たのも 悲しい心・・・」 頃は1940(昭和15)年、所は旧満州・公主嶺(現中国東北部)。おふくろが内職の手を休めずにレコードから流れる曲に合わせて口ずさみます。哀感ただ..
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「日本の山々が浮かび上がってくる」1945(昭和20)年9月2日、引き揚げ船・「興安丸」で朝鮮の釜山から山口県の仙崎港にたどり着いた永井家の親子3人。 朝もやのなか日本の山々が浮かび上がってくる風景に目を見張る。「あれが日本..
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シベリア抑留の体験記 片山清次さん旧満州(現中国東北部)で敗戦を迎え、戦後、旧ソ連軍によってシベリアで強制労働を強いられた。4年間の体験を描いた絵を冊子にまとめ、語り部として長年活動してきたが、この夏から体験記を書き始めた。(東京新..