記事「災害」 の 検索結果 9295 件
-
任務交代朝、起きても停電は直っていなかった。 「やっと被災地の人の気持ちがわかった。」―私はそう言った。 M場医師は「こっちは、たまらないですよ。勘弁してほしいです。」 そうだよね。..
-
震度6弱明日、我々の次の隊がやってくる。 F沢町民病院の基地内で引継ぎの資料を作成していた。 口頭での引継ぎも重要であるが、伝言では必ず漏れが生じる。第1陣→第2陣は引継ぎなし。第2陣→第3..
-
基地移転震災の翌週よりF沢町民病院内におかれた前線基地を引き払うことにした。 第1陣では、気仙沼の避難所にも入っていたのであるが、今は、南三陸町とその後方で避難した方を受け入れている登米市の活動にな..
-
登米市での活動登米市U沼診療所のS々木先生を訪問。 毎週、水曜日は診察はなく、市の保健・福祉の業務をされているとのこと。今日は、同行して登米市の市民生活部長さんや福祉事務所長さん、病院事業管理者にご挨拶。..
-
南三陸昼前に志津川ベイサイドリーナに到着。 チームのK橋先生が、2日しか経っていないと思えないほどの活躍ぶり。S津川病院のK野先生、災害人道医療支援会(HuMA)の方からも喜ばれていた。 避難..
-
気仙沼市視察朝、F沢町民病院のミーティング終了後、研修医とともに出発。 県立I井病院で研修中の先生だが、ちょうど地域医療研修でF沢町民病院に来ているところで、S藤院長の意向もあり、今日だけ私と一緒に被災地を..
-
活動開始朝、F沢町民病院のS藤院長にご挨拶。職員のミーティングで御挨拶もさせていただいた。(S藤院長のブログ) S山先生から引継ぎをして、自分なりのやるべきことを整理。 11時に出発し、車を..
-
いよいよ、南三陸町へS山先生とともに、再び宮城県内に入り、支援をする登米市のM谷病院、T里病院、南三陸町のベイサイドアリーナを巡回し、メンバーを配置していく。建物は大きく損壊したものは見当たらないが、亀裂が走った道路や..
-
北へ午前6時起床。和室の寝袋で不思議な感覚の朝を迎える。 身支度を整えて、午前7時、いよいよ出発である。 O身教授、H積准教授、I川准教授のお見送りを受けて、記念写真を撮ったあとN産プリ..
-
JMU RED SP本部J治医大に到着。 対策本部のあるの20周年記念塔にむかう。 エレベーターの横に、「平成23年度レジデントオリエンテーション会場は12階です」という貼り紙をみつける。うちの卒業生も2人..
-
いよいよ、出発明日、母校J治医大に行き他のスタッフと打合せ。 明後日、現地に出発である。 今朝、メールがあり、行き先も決まった。 私は岩手県F沢町民病院の現地の拠点でコーディネータ..
-
被災地支援準備(2)話は昨日のT佐山診療所で・・・ 擦り込み式の手指消毒薬を持っていかないといけない。その辺で売っているものではないので取引のある業者に頼むか・・ 診療所にある実物を見ながら「これ、自費..