記事「猪間驥一」 の 検索結果 253 件
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石橋湛山と『大陸東洋経済』昨日、一橋大学図書館へ行って『大陸東洋経済』40号中31号分に目を通してきました。先日、国会図書館へ行こうとしたら祝日で休館となっており、今週中はどうしても出かけることができないので、その前に一目見..
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高橋亀吉の経済評論50年2高橋亀吉の「外地」とのかかわりのつづき(前回記事の追記とすべきところですが)。太平洋戦争に入ってからも「外地」の視察に意欲を燃やしていることがわかります。以下、『経済評論五十年』(1963年)の「戦..
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北山冨久二郎の台北時代5『西園寺公一回顧録「過ぎ去りし、昭和」』(1991年、朝日新聞社)を読んで、前述の尾崎秀実がスパイ事件(ゾルゲ事件)で逮捕されたというニュースが届く場面とともに興味深かったのが、処刑された尾崎のお通..
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猪間驥一と向都離村人口2猪間驥一が1933年に発表した「東京市人口増加の性質に就いて」(『日本人口問題研究』第1輯収録)に呼応して、池野勇治が1934年、「大阪市人口増加の性質―特に東京市との比較を中心として」(『日本人口..
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猪間驥一と向都離村人口1先月、図書館へ行ったのは、国立国会図書館のサイトで猪間驥一の検索をしていて、『統計集誌』に「故後藤新平伯と統計事業」他の論文が収録されているのを知ったからです。 ◆1929年6月、「故後藤新平伯と..
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猪間驥一の東大追放・補3有沢広巳の『学問と思想と人間と』(1957年、毎日新聞社)では、病気(1922年7月、発病)で助手を辞めたことになっていた「猪間君」ですが、前回の大内兵衛『私の履歴書』(1951年、黄土社書店)では..
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猪間驥一の東大追放・補2大内兵衛『私の履歴書』(1951年)では、第7章に当たる「ヨーロッパ留学」の後が、「再び教壇に」となっており、1923年9月、関東大震災で帰国した後の東京帝国大学経済学部のようすがつづられています。..
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猪間驥一の東大追放・補1昨日は、勤務の後に出かけた一橋大学図書館で、思いがけずたくさんの収穫がありました。 一つは、猪間驥一の東大追放に関するもの。もう一つは、猪間の新たに見つかった何編かの論文。さらには、「北山冨久二..
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北山冨久二郎の台北時代『日本人の海外活動に関する歴史的調査』総論の「序」には、その編纂に関わった編集委員、猪間驥一、鈴木武雄、北山冨久二郎、金子滋男の4名の署名があります。 このうち猪間驥一に関しては、背後に大蔵大臣..
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人名録の中の猪間驥一猪間驥一について最初の情報を得た「人名録」が、それを見た図書館も分っていて何度か調べにもいったのですが、どうしても見つけられずにいました。国会図書館でも年代的な見当をつけて(猪間が中央大学教授になっ..
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上田貞次郎と人口の移動5このシリーズは、修正を加える際にも不手際があり、ゴタゴタしてしまいましたが、「人口の都市移住計画」(仮称)が成立そして頓挫するまでの過程を、上田貞次郎の理論上の貢献を加えて整理すると、以下のようにな..
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上田貞次郎と人口の移動4たいへん申し訳ありませんが、「上田貞次郎と人口の移動」シリーズ全体の訂正記事です。 幻の『日本人口問題研究』第4輯などと書いてしまいましたが、『日本人口問題研究』第1輯・第2輯・第3輯の上田論文..