記事「生活」 の 検索結果 120172 件
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究極の悟達は自得野崎:それほど厳しい修行を自らに課しても、また『法華経』等を何回読誦しても、やはり仏法の世界においては、正しい師につかなければ、なかなか奥底の悟りは究められないということですね。 池田:いや、究極の..
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奥底にあるものを究めるすなわち慧思は、出家してからの数十年間、『法華経』をはじめとする大乗経典を何千回も読誦し、座禅も小乗禅から大乗禅へと進み、七年間も自己に厳しく修業したけれど、なかなか究極の悟りには到達できなかった。..
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無名の求法僧の尊い犠牲松本:さて法顕らの一行は、ブルシャプラで法雲らと別れた後、現在のアフガニスタンにある那竭国に進んで冬の三月、小雪山を渡りました。寒風が吹きすさび、人びとは恐れおののくうちに、慧景一人は歩けなくなって口..
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経文によって優劣・浅深がある松本:いわゆる経・律・論の三蔵が、なんの秩序もなく中国へ続々と伝えられたこと。すなわちインドにおいては、初期教団の経典結集に始まって、部派のアビダルマ(阿毘曇)研究による小乗論集、そして大乗仏教..
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五十代は総仕上げ五十にして天命を知る、といわれるように、たしかに五十代というのは、人生の総仕上げの時期ともいえる。だいたい独創的なものは、二十代から三十代にかけてあらわれてくるけれども、それを四十代に発展させていっ..
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古典的なフロイト主義者わたくしは、古典的なフロイト主義者が、(極端な場合において)あらゆる事柄を、病理化しやすく、人間の健康な側面を十分に見ようとしないで、褐色の色眼鏡でなにごとでも見ようとしていることを、批判するもので..
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健康な幼児や児童まったく自発的に、内部から外へ歩が進められ、選択がおこなわれる。健康な幼児や児童は、まさに生命そのものであり、その生命の役割として、手当たり次第に、また自らすすんで、穿鑿ずきで、探求的で、物事に驚異..
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世親の「アーラヤ識」二十世紀後半の現代にいたって、世界の科学者たちが生命の神秘を解明しようとする流れに呼応するかのように、とくに西洋の哲学者や深層心理学者たちが、仏法の唯識思想に注目しつつあるのは、この世親の「アーラヤ..
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生命の基底部分にたくわえられる「アーラヤ識」というのは、われわれの経験世界を構成する観念の、その根源にある種子をたくわえる蔵という意味ですね。アビダルマ仏教の六識の段階では、その認識論の基盤にまで及ぶと、どうしても観念的にならざ..
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龍樹から世親の流れへ龍樹から世親への流れは、そのまま仏法思想の深化を示している。だが、世親はこの段階にとどまらず、さらに一歩ふみこんで『唯識三十頌』を著し、識の根本にある「アーラヤ(阿頼耶識=蔵識)識」なる概念を導き出..
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世親の活動松本:彼(世親)はまず『唯識二十論』において、外界の実存性を否定している。一切の存在は固定的な本性をもたず、空であり、幻のようなものであるにもかかわらず、一般的には実有であるかのように思われている。人..
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火と薪野崎:なにしろ非常にわかりにくい空の論理を、火と薪という、・・・。結論的にいうと、要するに火も薪も、それだけでは存在しえない、ということだと思います。 火は、薪がなければ燃えることはできない。また..