記事「甲陽軍鑑」 の 検索結果 23 件
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ものの見方春になった。 寒暖の差が激しいが、生き物が背伸びをして躍動的になってきた。 見る物は見方によって見え方が違う。 少し変えると、人は、知らないことを知っている人と、知らないこと..
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『人鏡論』と『甲陽軍鑑』とある本の中に、「『人鏡論』の日本人」という章があり、はじめよく分からなかったが、繰り返し読むと、何となく言っていることが分かってきた。 以後しばらく思考していたが、ようやく記す事の意味を納得で..
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武田信玄の人間観察眼人を観る眼。 奇特な能力を発揮した武田信玄の事例と、人を虜にする、ある手法から歴史を探ってみた。 『甲陽軍鑑』品第三 「信虎公追出の事」 には以下のような記述がある。 1,信虎公、た..
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幻の高天神と「西上作戦」武田信玄晩年の軍事行動は、はっきりしない。 世間では「西上作戦」と云われている。 その作戦の一筋が論争となっている。 見解の相違の一点目は、一次史料の、「当城主小笠原悃望候間」(『戦国遺..
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甲陽軍鑑 7 長篠合戦概略訳③長篠合戦概略訳③ さて右翼の方は、真田信綱、真田昌輝、土屋昌次、この3将で、馬場信春勢と入れ替わり戦ったが、信長の軍勢は家康衆の様に柵の外へ出て来ないので、真田勢は攻めこんで柵を1重破..
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甲陽軍鑑 6 長篠合戦概略訳②長篠合戦概略訳② さて、長篠において、武田方の家老の馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、小山田信茂、原昌胤、その他、老若全ての者が「御一戦なさることはこれ以上無用です」と、お諌めしたが、御屋..
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甲陽軍鑑 5 長篠合戦概略訳①長篠合戦概略訳① 勝頼公は信濃から遠江平山に進み、長篠の奥平貞昌の籠る長篠城を攻城した。 家康は援軍に来ようとしたが山県昌景隊の攻撃に敗退し、信長に援軍を頼んだ。2度も援軍要請し、..
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長篠の戦いの考察 10 勝頼の重臣達は合戦に反対した?勝頼の重臣達は合戦に反対した? 「甲陽軍鑑」ではこのとき決戦を控えるよう古参の重臣達が進言したが、勝頼の側近、跡部勝資と長坂光堅などがその意見に反対し軍勢を動かしこちらから攻撃を仕掛け..
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甲陽軍鑑 4 勝頼の評価勝頼の評価 前記事で書きましたが「甲陽軍鑑」の著者高坂昌信(春日虎綱)は信玄を愛していたので、軍艦の中でも信玄をこれ以上無いくらいに持ち上げ、その信玄の発した言葉の詳細を読み取り信玄の..
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甲陽軍鑑 3 信玄の男色と高坂昌信信玄の男色と高坂昌信 「甲陽軍鑑」の著者高坂昌信(春日虎綱)はどうやら相当な美男子だったようです。信玄が高坂昌信に宛てた誓詞で、興味深いものがある。 1542年(天文11年)この時..
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甲陽軍鑑 2 甲陽軍鑑の主著者、高坂昌信(春日虎綱)について高坂昌信(春日虎綱)について 高坂昌信という名前は主に「甲陽軍鑑]に記されていて、これが有名ですが正式には春日虎綱という。馬場信房(信春)・内藤昌豊・山県昌景と共に武田四天王の一人とし..
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甲陽軍鑑 1 跡部勝資と長坂光堅甲陽軍鑑(こうようぐんかん)は、武田信玄・勝頼期の合戦記事を中心に記した軍学書。本編20巻全59品、末書2巻。江戸時代に出版され甲州流軍学の聖典とされた。 武田勝頼を語るにおいて抜い..
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