記事「発祥」 の 検索結果 326 件
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蕃書調所跡前身の神田小川町にあった洋学所が安政の大地震で全壊焼失したため、 蕃書調所と改称して九段坂下に講舎を新築し開講した洋学研究教育機関。開成所の前身で東京大学の源流諸機関の一つです。
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横浜為替会社設立の碑「為替会社」は、我国最初の会社組織の金融機関として全国に8社設立されたものです。その中の一つである横浜為替会社は横浜港での貿易上必要な洋銀券(ドル紙幣)も含め、紙幣を発行するとともに、生糸売込商などの..
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西洋理髪発祥之地横浜の山下公園の中に「ザンギリ」という彫刻名の碑が建てられています。 明治2年(1869年)、横浜に我が国初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風 の「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなりました。..
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東京盲唖学校発祥の地東京盲唖学校は明治後期に存在した官立の盲教育・聾唖教育機関。 明治21年(1888年)に築地にあった文部省直轄の訓盲唖院を改称して 設立され、ここで明治23年(1890年)に日本点字が創られたそうです..
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上無川跡上無川は神奈川本宿の、中の町と西の町の間の道を横切って流れていた川。 カミナシガワのミとシを略してカナガワというようになったとの説があります。 現在は埋め立てられていて、神奈川小学校東脇に記念碑があり..
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ヘンリ・スペンサー・パーマー像ヘンリー・S・パーマーは日本初の近代的水道である横浜水道を完成させた英国陸軍の工兵少将。 明治18年(1885年)に来日し、道志川を水源として野毛山配水池に至る総延長48kmの横浜水道を2年に及ぶ工事..
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電信創業の地明治2年(1869年)に、日本で初めての電報が始まりました。 横浜電信局と東京電信局の間で始められたのがその始まりで、 横浜では横浜地方検察庁入口に碑が建てられています。
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済生学舎発祥の地済生学舎は長谷川泰により明治9年(1876年)に開校された医学校で、 医術開業試験の予備教育を目指して創立されました。現在の日本医科大、 日本女子医科大、東京医科大等が流れをくんでいます。
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横浜ボウリング発祥の碑港の見える丘公園の北西部分のフランス山の下に碑がたてられています。 横浜のこの地にボウリング場が開かれたのは長崎に遅れること3年の元治 元年(1864年)のことだったそうです。
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日刊新聞発祥の地明治3年(1870年)12月8日、日本初の邦字日刊新聞「横浜毎日新聞」が発行されました。発行所が現在の中区本町6丁目にあったとのことで、当 初、碑は旧生糸検査所にありましたが、平成21年(2009年)..
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太陽の母子像この「太陽の母子像」はアイスクリーム発祥の地を記念したもの。明治2年 (1869年)6月、横浜の馬車道のこの地で日本最初のアイスクリームが 販売されたそうです。
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商法講習所跡商法講習所は、明治8年(1875年)、駐米日本代理公使を終えて帰国した 森有礼が銀座尾張町に創設した商業学校で、現在の一橋大学の源流。 校舎は当初、この地にあった鯛味噌屋の2階を使用したそうです。