記事「石橋湛山」 の 検索結果 159 件
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藤田武夫の謎めいた経歴1財政学者、藤田武夫(1905-1988)は、地方財政問題を研究する人々の間ではよく知られた存在であり、その人物の著作をあらためて検証しなおすなどまったくの想定外のことでした。 では、なぜあらため..
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内海丁三、石橋湛山との日々(追記)『大蔵省百年史』別巻を調べたら、櫛田光男の名前が出ていました。それによると、 1946年2月2日、大蔵省に理財局が再置され(1945年5月19日に廃止されていた)、櫛田光男が局長に就任する。 1..
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内海丁三、石橋湛山との日々『名峰湛山:石橋書簡のあとさき』(1957年)に収録された内海丁三の「石橋さんという人」を読みました。 一 私が石橋さんにお近づきを得たのは、昭和五年の金解禁の前だったか後だったか、とにかく..
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石橋湛山と自由通商協会石橋湛山と自由通商協会の関係を確認するために『上田貞次郎日記』を参照して驚いたのは、1936年2月26日の二・二六事件の翌日、二人が同じ場所にいて、この事件についての議論の輪に加わっていたことです。..
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上田も農村工業協会に参加!本日、調べものをするために一橋大学の図書館へ行ったのですが、復刻版の『一橋新聞』を読んでいて面白い記事を見つけました。 救済策を掲げ 農村工業協会生る 上田(貞)教授も参加 農村問題が熾辣..
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地方交付税はなぜダメなのか1930年代の地方財政問題をめぐる石橋湛山や猪間驥一の議論が、原田泰さんの書かれているものと重なるものがあるように思われたので抜粋してみました。 ■原田泰「地方交付税が地方をダメにする―シャウプの..
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志立鉄次郎と東洋経済新報石橋湛山による政府要人インタヴューを終わらせてからと思ったのですが、これが思いのほか手間取っていますので、ここに志立鉄次郎(しだちてつじろう)についての話題を一つだけ挿入させていただきます。 最..
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湛山の町田商相インタヴュー石橋湛山の政界要人インタヴューの中でも私が最も注目したのは、この町田忠治商工大臣に対するものでした。高橋是清の場合は基本的な認識の確認に重きがおかれているのに対して、町田に対するそれは、具体策に踏み..
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湛山の高橋蔵相インタビュー1935年4月から7月にかけて、石橋湛山が集中的に行なった5人の政界要人へのインタビューを見ていきます。今回取り上げるのは、高橋是清大蔵大臣。ただし、冒頭の東洋経済新報社で創刊した英文雑誌の紹介や東..
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いくつかの新しい情報7最後にもう一つだけ、東洋経済新報社京城支局がどのように設立されたのか、ヒントになる記事をご紹介します。拙稿「経済学者、鈴木武雄の大陸前進兵站基地構想と戦時下、東洋経済新報社京城支局による『大陸東洋経..
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いくつかの新しい情報6話が前後してしまって申しわけありませんが、湛山が地方財政問題をどのように考えていたか、よくわかる座談会記事だと思いましたので載せてみました(前回、前々回の記事は1936年のもの、今回の記事は1935..
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いくつかの新しい情報5前回述べた『東洋経済新報』の「税制改革案の内容検討」特集に含まれる猪間驥一の論文は、この地方税制改革案の解説をも兼ねているので、ほとんどそのまま載せておきたいと思います。 猪間驥一「地方税制改革案..