記事「神功皇后」 の 検索結果 155 件
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宇佐の黄金伝説 6 強い神を祀れ(承前) 日本は、卑弥呼の時代から連綿と大陸・半島に存在する国家・集団と緊密な関係を維持していました。その実態は朝献貿易であったのかも知れませんが、常に外交アンテナを大陸方面に向け国際情勢の変化を..
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宇佐の黄金伝説 5 九州と海の神様(承前) もし、日本書紀の言う通りだとすると話しは更に込み入ったことになります。と言うのも、旧HPオノコロ・シリーズの忠実な読者なら覚えているように、宗像三神は須佐之男(すさのお)の子供であり、多..
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超人・竹内宿禰 10 神を侮った仲哀天皇(承前) 息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)は仲哀二年に皇后となった後、夫の仲哀天皇と共に九州での反抗勢力を鎮圧するため遠征、筑紫の香椎宮(現在の福岡市)に到着した時「神意」を問う儀式を行い..
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超人・竹内宿禰 9 八幡神との繋がり(承前) 「時政」とは勿論、北条時政(ほうじょう・ときまさ,1138~1215)のことですから、このお話は鎌倉幕府の第二代執権・北条義時(ほうじょう・よしとき、1163~1224)が、武内宿禰の「..
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神々の系譜 4 アメノヒボコと但馬(承前) ところで、アメノヒボコについて日本書紀は垂仁三年春三月条で『玉、小刀、桙、鏡』など七つの神宝を持って、 新羅の王の子、天日槍来帰り。 と述べた後、一書の形で、 故、天日槍、..
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金太郎と大王 2 斧鉞は全権の象徴(承前) 実は「天皇と斧鉞」に関しては、更に古い前例があるのです。しかも、二つ。先ず一人目は、景行天皇の息子・日本武尊(ヤマトタケル、仲哀天皇の父親)です。彼は父の命を受けて東奔西走、全国の「荒ぶ..
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鏡とピンク石 4 九州から来た大王(承前) さて残るのは隅田八幡人物画像鏡の解析だけですが、上で見てきた長持山古墳と小山古墳出土の石棺の特徴の類似性を重視すると、どちらが先行したのかは別として朱千駄古墳と長持山古墳は極めて近接した..
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人麻呂とワニ 4 変化する祭神(承前) 葛城と柿本人麻呂を結びつける物は他にもあります。それが近鉄新庄駅ちかくに建つ柿本神社で、その一帯の地名は葛城市柿本であり「石見田」の字も残っています。西暦770年に人麻呂を「改葬」し、そ..
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仁徳と石上神宮 1 布留宿禰『新撰姓氏録』は西暦八一五年、時の嵯峨天皇の勅命により編纂された官製の氏族名鑑ですが、千百八十二氏の中に含まれる布留宿禰(フルスクネ)には、次のような註文が記されています。 男木事命 男市..
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石上神宮と吉備 4 ふつしみたま(承前) 「木事命(こごとみこと)」を雄略朝の物部氏である布都久留大連(ふつくる)の息子・小事連に擬す研究者もあるようですが、新撰姓氏録は明確に「米餅搗大使主命の後」の「男(子)、木事命」と「男(..
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京都探訪455 祇園祭後祭の宵々々山の山鉾めぐり9 しんがりを務める大船鉾・神功皇后が凱旋した時の様子を表す後祭の山鉾は、大半は四条通の北側にかたまって建っていますが、大船鉾だけが四条通の南側の新町通に建っています。山鉾巡行の際は、大船鉾がしんがりを務めます。大船鉾は元治元年(1864)の「蛤御門..
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一寸法師 2 住吉さんの霊験(承前) 前置きが随分と長くなりましたが、今回は、その難波出身の男が主人公のお話です。幼い頃に見聞きした事物の実像が、記憶の片隅に仕舞われている「記憶像」とは、時にかけ離れている--そんな経験は珍..
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