記事「考察」 の 検索結果 3288 件
-
巣作りの枝をくはへてころぶ雀定型にこだわれば 巣作りの枝をくはへて飛ぶ雀 だが どう考えても 巣作りの枝をくはへて転ぶ雀 がよい。
-
定型と句の字数・音数きょうは漢詩結社葛飾吟社の例会。 下記、テキスト『定型と句の字数・音数』をもとに、 字数をもって定型としているかのようである日本の詩歌の定型觀が、 曖昧で根拠のなものであり、 いかに..
-
「日本ブログ村」トーナメント2015年3月投稿分集計「「日本ブログ村」トーナメント2015年2月投稿分集計」について 私の漢詩と散文がどこまで通用するかということで「日本ブログ村」のトーナメントに積極的に参加している。 3月投稿分は全30トー..
-
五言絶句・詩人醉臉如朱鷺種は大切にしなければならない。 それを疎略に扱うと絶滅危惧種となりやがては滅んでしまう。 Nipponia nipponという学名で日本を象徴する鳥であった朱鷺は、 20世紀前半に激減、..
-
詩と散文と近眼と老眼詩だと思って読むと不満が残る詩がある。 しかし、散文だと思って読みかえしてみると、それがとても良い。 詩と散文と なぜ敢えて眼鏡を変えて読まなければならないのか。 もしあえて眼鏡..
-
「日本ブログ村」トーナメント2015年2月投稿分集計「「日本ブログ村」トーナメント2015年1月投稿分集計 」について 私の漢詩と散文がどこまで通用するかということで「日本ブログ村」のトーナメントに積極的に参加している。 2月投稿分は全26..
-
風流子『良朋虚己絶無矜己(良き友はおのれを虚しくして絶えておのれを誇るなし)』自己に陶酔するということでは、現代日本の自由詩の詩人の右に出るものはいないだろう。 自由詩は日本の詩歌がたどり着いた前世紀の華なのだが、 現代日本の自由詩の詩人たちは、21世紀の今も自己に陶..
-
「日本ブログ村」トーナメント2015年1月投稿分集計「「日本ブログ村」のトーナメント2014年12月投稿分集計 」について 私の漢詩と散文がどこまで通用するかということで「日本ブログ村」のトーナメントに積極的に参加している。 与えられたテー..
-
漢俳も世界へ広がっていく段樂三さんは私が所属する漢詩詩社『葛飾吟社』と縁の深い中国の詩人。 漢俳の普及に尽力しているが、 その段樂三さんから昨年秋に世界の漢俳詩人2人の漢俳を推薦され、 段樂三さんの漢俳とともに..
-
十七字詩『憂國昼寝玩言論(国を憂ひ昼寝しつつも玩ぶ言論)』言論の自由は守らなければならない。 幸い日本は、人の名誉を傷つけでもしないかぎり、何をいっても大概のことは許される。 しかし、私はいいたいことがいえているか、というと必ずしもそうではない。 ..
-
霊に乗り移られて詩人となる人は生きているかぎり何かを体験し続けているのだが、 それを自覚することはほとんどない。 あることに衝撃を受け、それが感動であったり、 はっと思う発見や納得であったりするのだが、 それ..
-
十七字詩と三句半たまたまネットで知った十七字詩を面白いと思い、このところいささかハマっているが、 詩友紫陌青猫さん http://apple6111.fukuwarai.net// から、 十七字詩は、「三..