記事「胸像」 の 検索結果 84 件
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M.S.コルサコフ胸像(2018.11.17)高台で冷たく強い風に当たり、「多少キツい…」とコルサコフの街に下りた… 街中は高台より風が弱いものの、気温が余り上がらない感じは然程変わらない… ↓街の名の由来となったというコルサコフ総督..
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クルーゼンシュテルンの胸像(2018.09.18)レーニン通の側からサハリンスカヤ通に入り、西寄りから東寄りへ進んでみた… ↓久し振りにクルーゼンシュテルンの胸像が在る辺りに立寄った… ↓胸像は、こういう具合に広場に据えられている… ..
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N.V.ルダノフスキー胸像(2018.09.18)↓暫らく振りに広場に立寄って、この胸像を眺めた… ↑サハリンの南側の各地で、「(ロシアでの)最も古い記録」というものが、このルダノフスキーの調査報告の一部であるという例は多々在るらしい… ..
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V.M.ゴロヴニーンの胸像(2018.09.14)↓不意に思い付いて、胸像を眺めに広場に立寄った… ↓レンズの特徴を活かし、少し思い切って近寄りながら写真を撮ってみた… 日ロ交流史にも登場するゴロヴニーン…車輛の通行量も存外に多い..
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M.S.コルサコフ胸像(2017.07.07)「コルサコフ」というのは人名に由来する地名だ… コルサコフでは…「1853年にネヴェリスコイが哨所を開いた」という故事を「建都」と位置付けているが…その頃は総督の名に因んで「ムラヴィヨフスキー」..
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ヤコヴ・セミョーノフ胸像(2018.06.10)6月のウラジオストク…4月の“初上陸”と同じような時間帯に現地に入り、既に“別邸”という気分で逗留の同じ宿に荷物を置いて、街を歩き始めた… ↓建都の最初期から住み始めたとされる企業家のセミョーノ..
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G.I.ネヴェリスコイ胸像:<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>(2018.04.15)↓こういうような風貌の、少し年配な男性…「何処かで出くわしそう…」な雰囲気が在るような気がする… ↑何か「強い意志」を秘めたような、力強さが滲み出る、活き活きした感じの彫刻だと思った… ↓..
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ニコライ2世の胸像(2018.04.15)↓皇太子時代に足跡を遺しているということで、ニコライ2世の胸像がウラジオストクに在った… ↑余り紹介されているのを視た記憶が無い…比較的新しいモノと見受けられる… 実は、これを撮った時に「..
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ヤコヴ・ラザレヴィチ・セミョーノフ(Яков Лазаревич СЕМЕНОВ)=「ウラジオストク最初の住人」の胸像(2018.04.14)ウラジオストク空港からウラジオストク駅へ向かうバスは、アレウツカヤ通という道路を進んで駅前の「レーニン像の下辺りの降車場」に着いたのだが、道中の車窓を視ていると、沿道に一寸した食事が摂れそうな店が色々..
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ニコライ2世の胸像:ウラジオストク(2018.04.15)↓大聖堂の辺りに在った小さな胸像である… ↑新し目なモノと見受けられる… ニコライ2世は皇太子時代の1891年、日本を訪れた―<大津事件>が在った…―後にウラジオストクに立寄っている… ..
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A.P.チェーホフ胸像(2018.04.01)<A.P.チェーホフ『サハリン島』文学館>の前に、少し渋いチェーホフの胸像が在る… ↓こういう感じ… ↑やや「年代不詳…」な風貌だが…適度に抽象された像の割には、「こういう風貌の人に何処か..
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A.P.チェーホフ胸像(2018.04.01)<A.P.チェーホフ『サハリン島』文学館>の前に、少し渋いチェーホフの胸像が在る… ↓こういう感じ… ↑やや「年代不詳…」な風貌だが…適度に抽象された像の割には、「こういう風貌の人に何処か..