記事「船長」 の 検索結果 289 件
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 846訓練と非常時 元日に発生した能登半島地震の、救援に全力を注ぎかけた1月2日夕方、羽田空港で航空機事故が起きた。 これも被災地へ物資の運搬に関わる、あまりに悲惨な出来事が続き衝撃が大..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 841同じ十和田丸でも 今シーズンは秋らしい良い天候が少なく、損をしたように感じている。人の気持ちも天気に左右されやすく、どんよりした空模様が続くとすっきりしない。 祖母の墓参り..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 835葬り去られた事故 前にも少し触れたが、もうひとつ因縁とでもいうか、青函連絡船関係..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 832832 部下の功績 陸上勤務で学ぶ事も多くあり、すべてネガティブではなかった。個々のおかれた状況により異なり、一概に語れない。 詳細はこれまで書いてきたように、自分は恵まれた..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 830いつまでも 札幌の強烈な青函連絡船ファンの方から電話をいただいた。現役中は全般に熱気は感じていたが、個人的な関わりが少なく、青函連絡船が無くなったあと知ることが多い。 連絡船ファンが..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 826三つ子の魂百まで 「三つ子の魂百まで」と言われるように、幼い頃の性格がそう変わるもので無い。もろもろ環境のせいもあり、恥ずかしがり屋はずっと尾を引くことになる。 学校時..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 825オカに上がったカッパ 船乗りの多い地域に生まれ育ち、子供ながらに耳にした言葉や慣わしが記憶に残る。ひとつに「船乗りはオカ(陸上)に上がればカッパ、つぶしが利かない」と言う。 ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 818素人の立場から台風 規格外れのような台風等、つかみ難い気象状況が続くなか、気象に関わる方々の、ご尽力は計り知れないほどであろう。 青函連絡船関係者にとり、洞爺丸台風事故は切り離す訳..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 816荒波の4年間 自分の人生航路を振り返りながら、この4年間はどなたにとっても、人生を左右しかねないほど大きいだろう。 青函連絡船のふるさと函館を訪ね、春の船長OB会と..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 813信用 団体とか個人に関わらず、ある程度の信用が無ければ、物事を推し進めるのは難しい。話題のひとつマイナンバーカードが、よく表している通りである。 安全なシステムを築..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 811船長の死 子供の頃から年寄りが信仰するのを、見様見真似で継ぐぐらいで、仏教の知識や作法もあまり知らない。 弘法大師御誕生1250年祭の諸行事が、4月23日から6月15日まで総本..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 810大切なものも使い方 大型船から小型船舶に至るまで、およそ船と名前がつく限り、アンカー(錨)は法定備品として、装備しなければならない。それぞれの船に合うもので、規格や数量は決められ..