記事「船長」 の 検索結果 292 件
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 427航海に通じる 内閣改造が行われ再スタートに、国民のひとりとして無事な航海を願いたい。 船は大きな原因による事故もあるが、小さな事が積み重なったものは、的が絞り難く対応も..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 423難航 国会の閉会中審議で国中がかたずをのんで注目しており、ますます暑さが増しているようだ。これについて専門ではないから、論表は出来ないがチョット船に乗り換えてみたい。..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 401最後の花道 青函連絡船といえば、すべて十和田丸のイメージに代表された。新型船が就航した当初は、第一船の津軽丸が有名だったが、時代の変遷に早い引退で交代した。 最後を..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 386ああ船が曲がらない! 函館さん橋へ着岸中の連絡船が、右転するはずもそのまま岸壁に、突き刺さるような動きをした。幸いベテランC/O(一等航海士)の機転で、アンカー投下など咄嗟の行動により、..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 365十和田丸就航50周年 青函連絡船 十和田丸(70万航海記念) 海峡の女王として君臨した青函連絡船の、フラッグシップ十和田丸が昭和..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 339人生航路のように 気象予報士の「ヤマセ」と云う懐かしい言葉を耳にした。北海道や東北では聞きなれた、東寄りの風である。津軽海峡では天候の崩れる予兆に、湿気が多く何となくすっ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 315基本的考え方 船は海に浮かび、時に孤立した集団にもなる。状況によっては他の助けも無く、自ら解決しなければならない。多くの人命と財産をあずかり、安全..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 309客船の船長実習 貨物船船長として6ヶ月ほど経験を積み、いよいよ客船に乗組んだり、代務として派遣されるが、その前に客船実習が実施された。 ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 294船長の命 キャプテン(船長)とは何だろう? 当然ながらお分かりと思う。どのように見られているか、それぞれ異なり、詳しく知るところでない。接客を通したり一般の会話の感触では、半..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 282ちょっと無理じゃない! このところやや抽象的な話が続いたので、現実の話題に戻したい。昭和57年8月3日夜に十勝丸へ代務で乗船し、折り返し便は日付も翌4日になっていた。船長になり数..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 274船長のたわごと 2 欲張り 船員や船舶の業界は、伝統やしきたりにも特徴があった。明治初期から国づくりに、海運は欠かせないもので、その発展に大きく寄与した。..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 268人生航路についてお礼とお断り 昭和63年3月13日に青函連絡船が廃止になり、25年すなわち四半世紀が過ぎた日を記念に、それから2年半を超え260話を数えるまで、暖かい応援とご指導に感謝いたします..