記事「茂吉秀歌」 の 検索結果 12 件
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しろがねの雪のふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな斎藤茂吉しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな 【歌の意味と現代語訳】 銀色一色の雪の降る山の中にあっても、人が通る細い細い道が見えるものだよ 【..
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たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻垣にほこりたまれり 斎藤茂吉「赤光」たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻垣にほこりたまれり 【歌の意味と現代語訳】 たまたま手を触れながら枳殻の垣根に添って歩いてくると、その垣根に埃がたまっていた
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赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉「赤光」赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 【短歌の意味と現代語訳】 トマトが腐って捨てられていたところを見てから、どれほど歩いたろうとふと思うと、いくらも歩いていな..
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木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり 斎藤茂吉「赤光」木のもとに 梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり 【歌の意味と現代語訳】 梅の木の下で、まだ熟しきっていない梅の実を食べたをさな妻が、酸っぱそうな顔をして、はにかんで赤くなるまでに、時..
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おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも 斎藤茂吉「赤光」おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも 【歌の意味と現代語訳】 自分の身をいとおしくいたわりながら歩んで帰ってくる夕方の細い道に柿の花が落ちている。
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細みづにながるる砂の片寄りに 斎藤茂吉「赤光」より細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり 【歌の意味と現代語訳】 細い水の流れにさえ流されず、流れの端に静かに淀んで残る細かい砂、 その位の静かでかすかな憂..
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隣室に人は死ねどもひたぶるに 斎藤茂吉「赤光」隣室に人は死ねどもひたぶるに箒ぐさの実食ひたかりけり 【歌の意味と現代語訳】隣の病室で患者である人が死んだけれども、隣り合わせの部屋にいる私はホウキグサの実が無性に食べたいものだ。..
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かへり見る谷の紅葉の明らけ天にひびかふ山がはの鳴り 斎藤茂吉「赤光」よりかへり見る谷の紅葉の明(あき)らけく天(あめ)にひびかふ山がはの鳴り 【歌の意味と現代語訳】 振り返って見る谷の紅葉は明るく、山の川の流れる音が谷底から空に向かって鳴り響い..
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『茂吉秀歌』佐藤佐太郎220「つきかげ」黄蝶ひとつ黄蝶ひとつ山の空ひくく翻る長き年月かへりみざりしに 春の黄蝶はやや通俗だが、青空を背景とした八月の黄蝶は美しい。「長き年月かへりみざりしに」というように、晩年にあらためてその美しさを発見したのであ..
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『茂吉秀歌』佐藤佐太郎~33「あらたま」ゆふされば 『茂吉秀歌』佐藤佐太郎~33「あらたま」ゆふされば 『茂吉秀歌』佐藤佐太郎~33「あらたま」ゆふされば 『茂吉秀歌』佐藤佐太郎~33「あらたま」ゆふされば 『茂吉秀歌』佐藤佐太郎~33「あらたま」ゆふさればゆふされば大根の葉にふる時雨(しぐれ)いたく寂しく降りにけるかも 実質は「大根の葉」と「時雨」とだけで、それを単純に直線的にいいくだしている。 大根はどういうところにあるかということも..
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『茂吉秀歌』佐藤佐太郎~19「赤光」死に近き死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる 「添寝」は「侍寝」と同じだが、「死に近き母」から続くので通俗を脱している。「しんしんと」は、作者慣用の語だが、こ..
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茂吉秀歌中学生か高校生のときに習った記憶はあるのだけど…… この年になって、ようやく斎藤茂吉の歌に しっかりと対峙してみようという気分になってきた。 茂吉秀歌 上巻 茂吉秀..
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