記事「蝦夷地」 の 検索結果 60 件
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會津藩士の蝦夷地移住(18)さて、「会津降伏人」一行はオタルナイに到着後、兵部省の北海道からの引き上げで暫くは落ち着き先が決まらない日々が続いた。 藩士らは樺太開拓使の黒田清輝に請い、樺太開拓使の管轄下に入ったが、間もなく..
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會津藩士の蝦夷地移住(17)◇移住者第一陣(最終回) 95、小沢辰次郎 96、合田 恒弥 97、大竹 源吾 98、長谷川熊蔵 99、御徒目付土屋民蔵 以上99名 このうち、(4)..
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會津藩士の蝦夷地移住(16)◇移住者第一陣(5) 81、小林 忠蔵 82、佐藤盛之助 83、御普請・御吟味役割元役人二宮俊蔵 84、会計枝村伝八 85、方の勤河田恵助 86、御徒目付斎院弥八 87、当務の侭山添..
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會津藩士の蝦夷地移住(15)◇移住者第一陣(4) 61、無黒蘊次郎 62、相澤政次郎 63、西村仙之助 64、鈴木善次郎 65、川俣与四之助 66、宇佐美弥太郎 67、長澤辰之助 68、岡島梅吉 69、柏木..
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會津藩士の蝦夷地移住(14)◇移住者第一陣(3) 41、富永 広治 42、美濃部武士 43、垣沼 新助 44、垣沼竹次郎 45、高橋量之助 46、角田鹿三郎 47、渡部 竹八 48、鈴木 七郎 49、粒羅 直助 ..
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會津藩士の蝦夷地移住(13)◇移住者第一陣(2) 21、佐瀬藤次郎 22、田村千代之助 23、 同加え 24、佐藤 清松 25、石山亀次郎 26、奥村信之助 27、樋口喜代三郎 28、船橋 逸八 29、戸..
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會津藩士の蝦夷地移住(12)◇移住者第一陣(1) 1、中隊長 宗川熊四郎 2、小隊長 簗瀬辰之助 3、 同 落合恒三郎 4、半隊頭 武藤 格弥 5、 同 杉本弥三郎 6、御普請奉行 ..
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會津藩士の蝦夷地移住(11)明治2年2月20日には、會津降伏人を蝦夷地へ移し、開拓させる告諭が出された。翌月、主に東京謹慎中の會津藩士の中から百人ほどを選んで派遣することになった。 同年9月、兵部省は會津降伏人を北海道(同..
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會津藩士の蝦夷地移住(10)前田さんが中心になってまとめた『余市移住 旧會津藩士の足跡』や『黒松内町史』上巻、『新訂 會津歴史年表』などによれば、慶応4年(1868)9月、會津藩降伏により、翌年1月6日、會津藩士は越後・高田藩..
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會津藩士の蝦夷地移住(9)戊辰戦争直後の明治2年(1869)9月から5次にわたり、會津藩士は蝦夷地へ移住した。北海道郷土史に詳しい余市町の元中学校長、前田克己さんによれば、會津藩士の蝦夷地移住は大まかに分類すると、 ①東京..
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會津藩士の蝦夷地移住(8)明治2年11月、會津藩は本州最北端の下北の地に3万石の斗南藩として再生し、藩主松平家の家名再興が許された。松平容保の子息容大が子爵に列せられ、華族になることができた。 翌年1月には、前将軍徳川慶..
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會津藩士の蝦夷地移住(7)この頃は、まだ戊辰戦争の余燼が燻っていた。明治2年(1869)、戊辰戦争の責任を一身に背負った家老萱野権兵衛は5月18日、東京・麻布の飯野藩保科藩邸で見事な切腹を遂げ、同じ日に凾館・五稜郭では、榎本..