記事「道理」 の 検索結果 55 件
-
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第31章 心 25偈、26偈25 心が不浄で汚れ、動揺していて、あるいは怒り猛(たけ)っているならば、道理をはっきりと知ることができない。 26 しかし、怒りと不浄を制し、害心を除いて、よく説かれた教えを明らかに知る人は、..
-
悪いこと 好きなことのみ やる人は 努力する人を 羨むだろう(209)阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 =============================================================..
-
戒守り真理学んで禅定し人と離れて修行しても(271)ダンマパダ 271、272 戒と律を守るだけで また多くの真理を学ぶだけで あるいは禅定に達しただけで あるいは人と離れて住んでも(271) 凡夫の知らぬ 出離の安楽に触れても ..
-
一切の生き物たちを害さないそれゆに彼は聖者と言えるダンマパダ 270 生命を害す故に 聖者になるのではない 一切の生命を害さない 故に聖者と呼ばれる ○この詩から学ぶこと 前回は hiṃsatiという単語を「殺す..
-
沈黙で聖者になると言えないぞ愚昧であり無知ならば(268)ダンマパダ 268、269 沈黙するだけで聖者ではない 愚昧で無知ならば 天秤を持つように 優れたものを取り(268) 悪を避けて 沈黙する故に彼は聖者だ 世界の二つを知り尽くす ..
-
托鉢で托鉢僧になれないぞ不浄の人は托鉢僧でない(266)ダンマパダ 266、267 托鉢するだけで 托鉢僧にはなれない 不浄な行為をする限り 彼は托鉢僧にはなれない(266) 福業も悪業も離れて 梵行を行ない 熟慮して世間を歩む 彼..
-
出家には坊主頭でなるのでない欲のかたまりどうして出家(264)ダンマパダ 264、265 坊主頭で出家になるのではない 戒を守らず、嘘を言い 欲求と貪欲ばかりの人が どうして出家であろうか(264) 大小の一切の 悪を静めた人は 色々な悪を..
-
能弁で美しくとも狡猾な人は端正人と我は言わない(262)ダンマパダ 262、263 弁舌爽やか、 容姿端麗でも 嫉妬深く、吝嗇、狡猾の人は 端正な人ではない(262) しかし、このような煩悩を 断絶し、根絶し、除去した 怒りを吐き出し..
-
白髪だと言うだけでは長老でない年を重ねた老いぼれと言う(260)ダンマパダ 260、261 白髪頭であるというだけで 長老ではない ただ年を重ねた彼を 役立たずの老いぼれと言う(260) 真理と道理があり 不害、自制、制御がある 彼は心の垢を..
-
多弁者は法持者でない身をもって実践する人が法持者なりダンマパダ 259 多く語るだけでは 法持者ではない 聞くことが少なくとも 法を身体で実践する人 彼こそは実に法持者 放逸ではない人である ○この詩から学ぶこと 昨日..
-
多弁者を賢者と言わない穏やかで怨み恐れない人こそ賢者ダンマパダ 258 多く語るだけでは 賢者ではない 穏やかで恨みない恐れない人こそ 賢者と呼ばれる ○この詩から学ぶこと ブッダの詩は深い井戸のようです。智慧の水は汲めども..
-
智慧の人道理と無理を見極める無理が通れば道理が引っ込む(256)ダンマパダ 256、257 無理な方法で行う人は その故に道理に従う人ではない 道理と無理の 両方を賢者は見極める(256) 無理なく道理によって 他の人を平等に導き 道理を守る..
- 前へ
- 次へ