記事「遺構」 の 検索結果 126 件
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旧横浜居留地91番地塀横浜居留地91番地は、明治初期から昭和40年(1965年)までの通算90年弱の間、 外国商社の一つであるイタリア系蚕種・生糸輸出商社デローロ商会の所在地でした。この塀は旧居留地の建物の外構の姿を示す唯..
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石川島播磨重工業・造船所跡東京都江東区豊洲は、かつて石川島播磨重工業(現在のIHI)の造船所が あった処。当時の船のドックがそのまま利用されていて、アーバン・ゲートブ リッジはそこに架かる跳開橋。その傍には大きなクレーンも残さ..
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晴海橋梁東京都中央区晴海と江東区豊洲にある東京都港湾局専用線(晴海線)の 鉄道橋(廃橋)。昭和32年(1957年)に供用開始されましたが、晴海線が 平成元年(1989年)に廃止となり、本橋梁は遺構として残され..
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東京都港湾局専用線跡東京都港湾局専用線は、かつて東京港に敷設されていた東京都港湾局運営の専用鉄道。貨物輸送のトラックへの転換に伴い、平成元年(1989年)まで に全廃となりました。江東区立豊洲北小学校の脇に線路の跡が残さ..
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産業遺構・錨豊洲の地は昭和初期から石川島播磨重工業の造船工場等が操業し、日本の基幹産業の発展に大きく貢献してきました。その歴史を語り継ぐために、 豊洲三丁目公園の斜向かいの歩道に錨のモニュメントが設置されています..
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二代目横浜市庁舎基礎遺構明治44年(1911年)6月25日に竣工した2代目横浜市庁舎は、外観は 煉瓦作りのルネサンス様式で、全体に白い自然石の帯でまいている華麗な建物でしたが、大正12年(1923年)の関東大震災で被災し焼失..
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旧居留地消防隊地下貯水槽遺構明治4年(1871年)から明治32年(1899年)まで、ここを本拠地としていた居留地消防隊の防火貯水槽として建造され、昭和47年(1972年)まで使用されていたそうです。横 浜消防局本部も置かれていた..
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三条大橋石柱三条大橋の西の袂に残されている「天正十七年津国御影」「七月/吉日」 と刻まれている石柱。天正期の橋は大正元年(1912年)に架け替えられま したが、その時不要になった石柱は京都市内の庭石に用いられたそ..
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汽車道明治44年(1911年)に鉄道路線、臨港線(通称税関線)が開通し、この路線は、旧横浜駅(現桜木町駅)と新港埠頭を結んだものでした。その廃線跡が、現在では「汽車道」という名称のプロムナードになっています..
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旧税関事務所遺構大正3年(1914年)5月に建設された横浜港の税関事務所の遺構。この事務所は3階建てレンガ造りのゴシック様式の建物で、ガス暖房 や電気照明も完備していましたが、関東大震災により焼失してしまいました。
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山手80番館遺跡横浜に現存する唯一の関東大震災前の外国人住宅の遺構で、震災当時はマクガワン夫妻の住居だったそうです。この地はかつての外国人居留地の 中心地で、現在もその面影が感じられるところです。
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足尾銅山栃木県日光市の足尾地区にある銅山跡。足尾銅山は天文19年(1550年) の発見で、江戸時代には年間1200トンもの銅を産出していましたが、現在では閉山されて観光施設になっています。