記事「遺構」 の 検索結果 128 件
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卵形下水管明治10年代半ばに設置されたレンガ造りの下水管で、平成13年(2001年)に神奈川県庁前の日本大通りで発見されたものです。流量が減っても一定の流速を確保するために管の断面は下の方が狭くなっている卵形を..
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仙台城大広間遺構仙台城本丸大広間は本丸御殿の中心となる建物で、その広さから「千畳敷」とも称されたといわれています。内部には、伊達政宗をはじめとする歴代藩主の座する「上段の間」をはじめ、「孔雀の間」「檜の間」など多くの..
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二代目横浜駅遺構鉄道開業当時の横浜駅は現在の桜木町駅でしたが、東海道本線と外れていたために、この地(横浜市営地下鉄高島町駅の少し北側)に二代目横浜駅が大正3年(1914年)に開業しました。しかし、関東大震災で駅舎が倒..
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旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ東京砲兵工廠は日本陸軍の兵器工廠。明治4年(1871年)から昭和10年 (1935年)まで現在の東京ドームの地で、その機能を小倉工廠に移転する まで操業し、小銃を主体とする兵器を製造したところです..
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広島城の暗渠跡広島城の南側にある地下歩道を少し入った所の壁に案内板が設置され ています。この暗渠は、かつて広島城の内堀と中堀を結んでいたもので、 堀の水量の調節のためのものだったと考えられているそうです。
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広島城天守閣礎石広島城の天守閣は原爆で破壊されてしまいましたが、その後昭和33年 (1958年)に再建されました。その際、もと天守閣柱下の礎石が掘りおこ され天守閣の直ぐ近くのこの場所に原型のまま移され保存されて..
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開通合名会社煉瓦遺構横浜の開港記念会館のすぐ近くに残されている明治時代に建てられたと 推定され、関東大震災で倒壊した煉瓦造りの建物の遺構。この会社は横 浜港から陸上される貨物の通関・発送をしていた商社だったそうです。..
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旧横浜居留地91番地塀横浜居留地91番地は、明治初期から昭和40年までの通算90年弱の間、 外国商社の一つであるイタリア系蚕種・生糸輸出商社デローロ商会の所在 地でした。この塀は、旧居留地の建物の外構の姿を示す唯一の遺..
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石川島播磨重工業・造船所跡東京都江東区豊洲fは、かつて石川島播磨重工業(現在のIHI)の造船所が あった処。当時の船のドックがそのまま利用されていて、アーバン・ゲートブ リッジはそこに架かる跳開橋。その傍には大きなクレーン..
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晴海橋梁東京都中央区晴海と江東区豊洲にある東京都港湾局専用線(晴海線)の鉄道橋(廃橋)。昭和32年(1957年)に供用開始されましたが、晴海線が平成元年(1989年)に廃止となり、本橋梁は遺構として残されまし..
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東京都港湾局専用線跡東京都港湾局専用線は、かつて東京港に敷設されていた東京都港湾局運営 の専用鉄道。貨物輸送のトラックへの転換に伴い、平成元年(1989年)まで に全廃となりました。江東区立豊洲小学校の脇に線路の跡が..
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二代目横浜市庁舎基礎遺構2代目横浜市庁舎は、明治44年(1911年)6月25日に竣工した、外観は、 煉瓦作りのルネサンス様式で、全体に白い自然石の帯でまいている華麗な 建物でしたが、大正12年(1923年)の関東大震災で..