記事「金子光晴」 の 検索結果 18 件
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詩と散文(詩)との融合:金子光晴『人間の悲劇』金子光晴『人間の悲劇』(講談社文藝文庫)を読んだ。帯文の言葉を借りれば韻文と散文との一体化であり自伝的傑作詩集とある。終戦後三年間に書いたものの集成と言う(序文)。ひと言で言えば、真似の出来ない素晴..
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時々花の香り「時々花の香り」/イラストレーション:(C)キムラクニヒコ オットセイのスケッチ/(C)キムラクニヒコ そのいきの臭えこと。 口からむんと蒸れる、 そのせなかがぬれて、は..
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金子光晴「浴場」(詩集『こがね虫』所収)我我の大多数は生誕した為、余儀なく生きる。余儀なく論議し、熱中し又、快楽を猟(あさ)る。 ああ、人生の経歴は只倦怠(アンニュイ)への距離短縮である。 然し、偶然な、気に染まぬ生存(いきな..
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薬用「モンココ洗粉」と金子光晴詩人の金子光晴と森三千代とが東南アジア、欧州への足掛け5年の大旅行を終えて帰国したのは昭和7(1932)年のことだった。昭和初期に華々しかったプロレタリア文学は弾圧を受けて消沈していた中、実質は「天..
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〈屁〉で皇帝の愛を語ってみる~楊貴妃(太真)は体からよい匂いを発したという(一説では腋臭ではなかったかといわれている)のだが、屁こきでもあったというのが詩人・金子光晴の説である。というか、金子は玄宗皇帝の貴妃への想いを嘘か真か〈..
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馬来半島バトパハ(峇株巴轄)表題に惹かれて産経イザ!の記事「【野菊】マレーシアの旧日本人街」を読んだ。イントロに金子光晴『マレー蘭印紀行』パトバハが引かれ、金子の訪れた昭和初期そこに日本人街のあったことが記される。だが、記事の..
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