記事「鉱石の道」 の 検索結果 14 件
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 生野銀山Ⅳ)坑道の入り口と出口の間を流れる川に滝が流れ込んでいます。 坑道の入り口の横からは、遊歩道が山の方へ続いています。 歩き出すと直ぐに、戦国時代から江戸時代の鉱夫が坑内作業安全性を祈り、掘..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 生野銀山Ⅲ)坑道の最深部のシュリンケージから、復路へと足を進めます。 明治になると、生野銀山は政府直轄運営鉱山となり、先進技術を導入し近代化が進められました。1889年皇室財産となりましたが1896年「三菱..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 生野銀山Ⅱ)いよいよ、鉱山の中へと入っていきます。 そもそも、生野銀山は平安時代に開坑したと伝えられます。その後、室町時代に石見銀山から採掘、精練技術を導入し、本格的な採掘がはじまりました。 戦国時..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 生野銀山)先週は、体調不良で更新することができませんでした。 さて、いよいよ生野銀山にやって来ました。写真は菊の御門柱。 生野銀山は戦国時代から近代にかけての日本の銀山で、明治政府が鉱業の近代化を..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 トロッコ道)山口護国神社を後に、生野町市街を散策しようと、立ち寄ったのですが・・・ お盆の真ん中、一つの駐車場は、地域のイベントの為に、閉鎖されていました。何とか、もう一つの駐車場を見付ける事が出来ました。..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 山口護国神社)さて、羽淵鋳鉄橋の国道を挟んだ向かい側にあったのが、「山口護国神社」でした。 護国神社とは、国のために殉職された方々の例を祀る神社です。東京都と神奈川県を除く、各道府県に建立されています..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 羽淵鋳鉄橋)ゴールデンウイークに明延鉱山と神子畑選鉱所を訪ねて、お盆には生野鉱山も訪ねてみようと思っていました。 さて、お盆のある日、生野銀山へ・・・。生野銀山は、戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山で..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 鉱山の里)憩いの家の前には、こんな碑が有ります。 鉱山の里と書いてやまの里と呼ばせています。 こちらに展示されているのは白金号です。 一円電車は明延鉱山と神子畑選鉱所の間、約6kmを..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 一円電車)明延鉱山探検坑道から少し北へと走ると、あけのべ憩いの家が有ります。 ここで、一円電車は走っています。此処が本来の目的地でした。 一円電車は本来明神電車と呼ばれていました。明延鉱山..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 明延鉱山 探検坑道)神子畑選鉱所を後に国道429号を走り、県道6号に入り大屋町へ向かいます。 途中、5月の連休だというのに見事な八重桜が咲いていたのですが、このブログを執筆しているのは7月・・・海の日です。あまりに..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 神子畑選鉱所 わかば号)ムーセ旧居から少し離れた所には、わかば号が展示されています。 わかば号は、一円電車の一台です。 ここに展示されているのは、電気機関車、客車のわかば号、そしてグランビー鉱石運搬車の3両編..
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オッサンのブラリ一人旅(鉱石の道 神子畑選鉱所 ムーセ旧居)神子畑選鉱所の敷地には、ムーセ旧居が有ります。 ムーセ旧居は、明治初頭、生野鉱山の外国人技術者用に建てられた住居の一つです。当初、生野に建てられていました。この建物は、フランス人技師ムーセが住..
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