記事「青函連絡船」 の 検索結果 532 件
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シリーズ0008:函館港カーフロートの荷役場所を調べる・貯炭場編(その2)カーフロートの可動橋は、現・街区のどこにあったのでしょうか?当シリーズ(その2・終)では、位置詳細を調べます。 ●北海道炭礦汽船株式会社・函館出張所に築造された、私設可動橋の位置を調べます。●各年代..
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シリーズ0008:函館港カーフロートの荷役場所を調べる・貯炭場編(その1)「函館港カーフロート」が貨車航送を行った「北海道炭礦汽船株式会社・函館出張所」は、現・街区のどこにあったのでしょうか?当シリーズ(その1)では、当時の所在地を調べます。 ●所在地情報等が収録された資..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 858能登を思う 能登半島地震から2か月を迎えようとするが、なかなか復旧が進まず、むしろ日増しに爪痕の大きさや、難しさが浮き彫りになっている。 能登半島へ行ったことは無い..
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シリーズ0007:「函館港カーフロート」とは?当シリーズでは、かつて函館港内で鉄道車両を航送した艀(はしけ)、「カーフロート」について調べます。 ●就航期間●導入に至る経緯●当時の函館港の地理的状況●運航状況●船体の主要項目●船名●車運丸、その..
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青森紀行(240213~14)青森行きを決行した。今月25日で終了してしまう奈良美智展を鑑賞するためである。いざ行程を組もうとすると、祝日振替の休館日もあり、すんなり決まらない。太宰も棟方もとなると泊が足りない。 結局、前泊とな..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 856難航をふりかえる この前に書いた青函連絡船の、元チーフオフィサー(一等航海士)と会うことが現実となった。少なく見ても40年ぶりぐらいだろうか? 青函連絡船の場合には、同じ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 854生き抜くお守り 人生を振り返ると仕事ついている間は長く、勤めを離れてから月日の過ぎるのが早く感じる。心身の酷使から解放され、ストレスも変わってくる。 船の航海と同じように人の..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 853会える時に 愛読される知人からブログが、表示されなくなった連絡をもらったが、ほとんど間を置かず原因が分かったようだった。 最初のbiglobeブログから、現在のsee..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 852船長とは・・・続く 船長を語る前にちょうど分かり易い教材を、提供してくれているようである。通常国会も始まり、大きなポイントとなる政治とカネである。 国民の判断はおおむね世..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 851船長とは たまたま縁あって超高級車に、乗せてくれる機会をもらった。もちろん自分で運転するのではなく、後部座席に乗客である。 何かあっても責任を持てる範疇を超え、運転できる..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 849新年会 このところ小学校クラスの集いを皮切りに、新年会とおぼしき4回の懇親会に、四日間連続で出席させてもらった。 青函連絡船が廃止前後のお別れ会の多い時や、現役で忙しい頃もこ..
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青函連絡船の思い出と我が人生航路 847新年雑感 新しい年を迎え何となく落ち着かない日々が続く。自由な身になってからは、特に込み合う時に出歩く必要もない。 三が日は忙しい人たちに譲り、初詣も適当な時期に近くの神社と、県内で人気の..