記事「飯沼貞吉」 の 検索結果 8 件
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幕末維新に燃えた会津の女たち(54)◇飯沼貞吉を助けた印出はつ(下) そこで、はつは三本住庵という町医師に来てもらって貞吉の傷口を縫ってもらい、薬を付けて甲斐甲斐しく世話をした。はつにとっては、戻ってこなかった息子代わりだった..
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幕末維新に燃えた会津の女たち(53)◇飯沼貞吉を助けた印出はつ(中) はつは、タンスや布団を貞吉にかぶせて3日3晩、寝ずに看病したが、岩屋が城下に近いこともあり、時折、西軍兵士がやってきては、 「賊(会津兵)はおらぬか」 ..
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幕末維新に燃えた会津の女たち(52)◇飯沼貞吉を助けた印出はつ(上) 印出はつは、会津藩足軽印出新蔵の妻。8月23日、倅が鉄砲を担いで出ていったきり帰ってこないので、消息を尋ねて慶山村の百姓佐平の隠れ家を訪ねた。 佐平はこ..
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幕末維新に燃えた会津の女たち(51)◇飯沼貞吉の母ふみ(下) 9月22日の降伏後、60歳以上の老人と15歳以下の男子、それに婦女子は塩川の謹慎所にまとめられることになり、ふみたちは関弥一行と再会できた。 この間、飯盛山で自..
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幕末維新に燃えた会津の女たち(50)◇飯沼貞吉の母ふみ(中) 8月21日、白虎隊に出陣の命が下った。ふみは貞吉に対し、 「人に遅れをとってはなりませぬぞ」 と戦場における心得を諭した後、 「梓弓 むかふ矢先はしげくとも ..
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幕末維新に燃えた会津の女たち(49)◇飯沼貞吉の母ふみ(上) ふみは西郷十郎右衛門(300石)の三女で、飯沼時衛(400石)に嫁いだ。飯沼家には、祖母美濃はじめ父米之進、母幸、弟友次郎、友三郎のほか、下男下女の大家族であった。..
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幕末維新に燃えた会津の女たち(39)◇日向ゆき(上) 日向左衛門(400石)の次女。8人兄弟の3番目として生まれた。32歳で死去した母の兄は飯沼時衛で、その次男が白虎隊士中2番隊の生存者貞吉。母の姉が西郷頼母夫人の千恵子。 ..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(254)◇第二の拠点(41) 昨夕、握り飯を一つ食っただけだった。昨夜は岡の上で一睡もせず、今日は朝から戦い、雨に濡れながら間道を歩いた。腹は減り切って、疲れもひどい。 それに錯覚だったが..
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