記事「高橋亀吉」 の 検索結果 51 件
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鈴木武雄についての小論文2あけましておめでとうございます 昨日、大学院の紀要のための原稿提出を終了しました。『猪間驥一評伝』と合せると、これで私が書こうとしていた内容をとりあえず網羅したことになります。 それにして..
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鈴木武雄についての小論文どうしてもお返事したいお手紙を何通もいただいているのですが、来年の冬休み明けまでに書き上げなければならない小論文があります。 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』のもう一人の編集委員であるマル..
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ぬかるみの中の石橋湛山研究2ここで、『大陸東洋経済』設立までの過程を、小倉政太郎・鈴木武雄の動きを軸に、高橋亀吉・石橋湛山の動きを加えて整理します。 1935年初め、高橋亀吉、朝鮮を旅して、『現代朝鮮経済論』を著わす。こ..
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ぬかるみ中の石橋湛山研究先日、国立国会図書館へ行って、一橋大学図書館所蔵『大陸東洋経済』の欠番を、復刻版によって補ってきました。その内容については前回記事に反映させています。 復刻版『大陸東洋経済』(2001年)の冒頭..
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石橋湛山と『大陸東洋経済』昨日、一橋大学図書館へ行って『大陸東洋経済』40号中31号分に目を通してきました。先日、国会図書館へ行こうとしたら祝日で休館となっており、今週中はどうしても出かけることができないので、その前に一目見..
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高橋亀吉の経済評論50年3東亜経済ブロック内の植民地重工業化を、鈴木武雄は大陸前進兵站基地構想という名の下に、高橋亀吉は大東亜共栄圏構想の名の下に行おうとしていたことはすでに述べました。 文献を整理するために、亀吉の19..
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高橋亀吉と北山冨久二郎今回の記事のタイトルですが、「高橋亀吉の経済評論50年3」とするか「北山冨久二郎の台北時代6」とするか考えた末、上記のものとすることにしました。 両者の関係を時系列的に記すと以下のようになるかと..
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高橋亀吉の経済評論50年2高橋亀吉の「外地」とのかかわりのつづき(前回記事の追記とすべきところですが)。太平洋戦争に入ってからも「外地」の視察に意欲を燃やしていることがわかります。以下、『経済評論五十年』(1963年)の「戦..
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高橋亀吉の経済評論50年北山冨久二郎について、もう少し書くべきことがあったのですが、現在、読んでいる高橋亀吉の『経済評論五十年』は、北山について議論する際にも重要な情報をもたらすものなので、こちらを優先させます。 亀吉..
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北山冨久二郎の台北時代5『西園寺公一回顧録「過ぎ去りし、昭和」』(1991年、朝日新聞社)を読んで、前述の尾崎秀実がスパイ事件(ゾルゲ事件)で逮捕されたというニュースが届く場面とともに興味深かったのが、処刑された尾崎のお通..
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北山冨久二郎の台北時代4高橋亀吉は『経済評論五十年』(1963年)に次のように書いています。 近衛公の有力な側近である後藤隆之助君が、近衛の他日の総理大臣準備のため政策研究会を持ったのは、この前後のことであったと思う。..
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北山冨久二郎の台北時代3初めに確認しておきたいことがあります。 前回記事で、尾崎秀実(1901-1944)、牛場友彦(1901- 1993)、北山冨久二郎(1901-1984)が一高時代の同級生(1919年入学)であり..