記事「高橋竹山」 の 検索結果 15 件
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音楽と記憶 9 気分はベンチャーズ(承前) 昭和30年代を西暦にすると1955年から64年までの10年間ということになりますが、30年代の終わり頃から40年代の初めにかけての時期、国内ではエレキギターのブームが起こっていました。そ..
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レイ・チャールズ彼が名曲『I can't stop loving you』(「愛さずにはいられない」)を作詞作曲してリリースしたのは1962年のことで、筆者はまだ中学生だった。レイ・チャールズ(1930~2004)は..
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《中継》先にわたしは《若手能を見てきた》の中で、高橋竹山の「津軽三味線即興曲《岩木》」について「そこにわたしは、高い技にもかかわらず、伝統音楽の枠を課せられた音楽の限界を感じる」と言..
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《若手能を見てきた》さそってくれる方があって大阪の大槻能楽堂で「若手能」(第27回)を見てきた。どの演目もすばらしくとても感心して観させてもらっていたが、とりわけ「海士」が面白かった。シテは今村嘉太..
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秋の色今日は木枯らし一号が吹くかとも予報されていたが、果たして朝は確かに雨とともに冷たい強い北風が吹いていた。だがそれも時間を追って和らいで行く。 今日は「民俗学」の授業。学生数が減っていたのが気..
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高橋竹山事件下宿先の部屋には、窓というものが一つも空いていなかった。照明を付けないで雨戸を閉ざせば、昼日中でも暗闇が支配する空間となる。卒業を控えた冬の或る日、早々に戸を閉じてラジオを聞いていた時、聞きなれない三..
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津軽三味線組曲 by 高橋竹山地底のマグマの脈動に合わせ湧き上がる三味線の音。人の情念の揺らめき。胸底を突き動かす何か、津軽三味線の魅力は捨てがたい。
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高橋竹山津軽三味線の名人として60歳を過ぎてから世間の脚光を浴びたが、さほど時流に媚もせずに、盲目の門付け芸人として87歳の生涯を終えている。喉頭ガンに苛まれていた晩年も、津軽の小さな保養施設や居酒屋などで..
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「流れ星ひとつ」 沢木耕太郎毎度のお出ましをありがとうございます。 本日もご多忙中を恐縮です。 いい音楽や映画鑑賞による作品でご紹介していました。 「時代の間で生きることの刹那さや懸命さに興味があり、ここ..
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林隆三(はやし・りゅうぞう)さん 6月4日 70歳林隆三さん=俳優 渋い中年男性を滋味深く演じた俳優の林隆三(はやし・りゅうぞう)さんが4日、腎不全のため亡くなった。70歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、征生(まさお)さん。 ..
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高橋竹山の衝撃、津軽三味線との出会い人それぞれに思い出はあるものですが、 予期せぬ「出会い」は、それなりの驚きを伴うものです。 津軽三味線の名人と呼ばれた人が居ました。 「高橋竹山との出会い、音楽と記憶」 ht..
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たどたどしい三味線のどこが悪い?たどたどしい三味線のどこが悪い? introducing 「竹山ひとり旅」「津軽じょんがら節」「ナビィの恋」 僕が糸井重里のファンになった理由は三つある。 80年代、彼は西武流通グル..
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