記事「魏」 の 検索結果 115 件
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【基礎】小国から邪馬台国連合の流れ(弥生時代から古墳時代初期)◆まとめ◆ 『漢書』地理志 紀元前1世紀、倭人は100余りの小国に分かれており、楽浪郡に使者を送る。 ↓ 『後漢書』東夷伝 57年、奴国の王が後漢に使者を送り、光武帝より金印を授けられる..
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卑弥呼の誕生日 5 狗奴国の侵攻(承前) 部屋の片隅で影のように蹲っている従者に男が目で合図を送ると、持参した袋から取り出した光輝く銅鏡をうやうやしく卑弥弓呼の前に差し出した。窓から差し込む太陽の力強い日差しが丁度供物を載せる木..
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卑弥呼の誕生日 4 暦法を操る男(承前) 従者に大きな荷物を持たせて現れた呉の役人と名乗る男は、流暢な和語を駆使して大陸の情勢をひとしきり述べた後、本題を切りだした。それは卑弥弓呼にとって初めて耳にする驚くべき内容だった。 ..
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卑弥呼の誕生日 3 呉製の鏡が伝わる(承前) 日食が始まるのを、まるで待っていたかのように狗奴国選りすぐりの戦士たちがそこかしこから湧き出るように姿を現し、静まり返っていた卑弥呼の楼閣を取り囲み、大音声を上げ続けたのは陽が傾きかける..
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隅田人物画像鏡 3 杜撰な模造品(承前) この長すぎるタイムラグに関しては、隅田鏡の例を持ち出すまでも無く、元鏡を手に入れた人物が自分の権威付けのために「模倣」し(再配布或いは贈与し)たのだとする解釈が一方にあるのですが、元鏡と..
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卑弥呼 8 年齢は長大(承前) 「倭人」伝との出会いは、もう30年以上も前のことでした。単位とは関係のない或る教授のゼミで、たまたま聞いた講義がもとで筆者は三国志の世界を知りました。今回のように深く突き詰め考えたことは..
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卑弥呼 6 魏の軍事使節(承前) ところで「倭人」伝は、その末尾の部分で女王・国との正式な外交関係をかなり細かく記述していますが、これは梯儁(240年)および張政(247年)の二人の使者が倭国を訪れ、その帰国報告に基づい..
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卑弥呼 4 大陸への強い関心(承前) 年表には必要だと思われる、極々一部の資料だけを載せてみました。読みづらいかも知れませんが、文字から受ける感覚を大切にするため、あえて漢文のままにした部分もあります。さて、何が見えてきまし..
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卑弥呼 3 死と皆既日食(承前) かつて旧HPで作成した表は、縦長の大きなもので複写がとても面倒なので文字だけ転載します。左側の数字は西暦年を表わしたもの、文章の後にあるものが資料名です。 57 建武中元2年..
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「魏志倭人伝」と邪馬台国【教科書まとめ】◆三国時代(魏、蜀、呉)◆ 220年、中国の後漢が滅びた。 魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉(ご)の三国に分かれた三国時代(さんごくじだい)となった。 ◆「魏志倭人伝」◆ 三国時代のことは歴史書..
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洛陽【らくよう】洛陽 【らくよう】 中国の後漢、魏(三国時代)、西晋、北魏などの都。 もとは東周の都だった洛邑。 隋や唐では副都となった。 黄河の支流である洛河の近くになる。
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後漢【ごかん】後漢 【ごかん】 中国の漢王朝の後半で、新と三国時代の間の統一王朝。 25年から220年まで。 王莽に滅ぼされた漢を劉秀(光武帝)が再興し、洛陽を都とした。 豪族による連合体で、2世..
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