記事「ETUDE」 の 検索結果 222 件
-
etude148にほんブログ村 ハリスの遺産を相続したは 姪のベッシーでした。 そのベッシーから寄贈された ハリスの記録を調査していて、 コセンザ博士は首をかしげます。 というのは、 日米修..
-
etude147にほんブログ村 すこしはしたないと思いながら、 ハリスを「詐欺師」「確信犯」と私が罵倒するのは、 『日本滞在記』の訳者解説に このように書かれていることも その理由のひとつです。 ..
-
etude146にほんブログ村 兌換貨幣としての一分銀について 詳述しているHPをご紹介します。 http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J025.htm ..
-
etude145(写真はヒュースケンの遺体) にほんブログ村 語るに落ちたとはこのことです。 ハリスの『日本滞在記』 1857年11月7日の日記に、 このように書かれています。 「一八五七年 ..
-
etude144にほんブログ村 ハリスは確信犯でした。 その証拠を見つけたのです。 ハリスは幕府を欺く 詐欺師であったと言っていいでしょう。 ヒュースケンもグルだったのかもしれません。 ..
-
etude143にほんブログ村 ヒュースケンの正体。 それは自身の日記の中に記されています。 1857年(安政四年)5月21日、 一頭の馬を購入したよろこびのあまり 自分のみじめな過去を 思わ..
-
etude142にほんブログ村 吉田松陰が 老中間部詮勝暗殺を決意した心情には 同情を禁じえないものがあります。 ハリスの 「一ドルを一分銀三枚とせよ」 という暴論に屈したのは他ならぬ間部だからで..
-
etude141にほんブログ村 今朝は神社の幟立て。 もう家を出なければなりません。 その前に、 ハリスの母国であり、 ヒュースケンが移住したアメリカとは そのころどのような様子だったのか、 ..
-
etude140にほんブログ村 昨日は『日本滞在記』が手もとになかったので 『ヒュースケン日本日記』を読みはじめました。 ヒュースケンは 1832年オランダのアムステルダムで 商人の子として生まれま..
-
etude139にほんブログ村 『日本滞在記』を仕事場に忘れてきたから 今日は引用ができません。 ヒュースケンのことを書こうと思っていました。 彼は斬殺されるのですが、 鎖国下の日本へ突然あらわ..
-
etude138にほんブログ村 岩波文庫のハリス『日本滞在記』は 注釈として日本の文献記録がついていて ハリスと役人とのやりとりが 息づかいが聞こえるようにわかります。 下田に閉じ込められるようにし..
-
etude137にほんブログ村 考えてみるまでもなく 欧米列強からみれば 鎖国下の日本は 地の果てに浮かぶ 未開の小国であったのかもしれません。 つぎつぎに植民地化されてゆく東アジアの 最後に残..