記事「尚巴志伝」 の 検索結果 329 件
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 1.山田のウニウシ第二部は若き日の護佐丸が首里に向かう場面から始まります。 山田按司の次男に生まれたマウシ(護佐丸)は曾祖父と祖父の敵を討って、今帰仁グスクを奪い取るために山の中で厳しい修行を積んでいました。 ..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 81.勝連グスクに雪が降る奪い取った越来グスクを叔父の美里之子に任せて、サハチ(尚巴志)は勝連グスクに向かいます。 勝連グスクは深い霧に被われていました。 サハチは兵を展開して、三つの門を塞ぎました。 馬天ヌルがやっ..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 80.快進撃中グスクの城下には信じられない噂が流れていました。 中山王が戦死して、中グスク按司も戦死して、できたばかりの首里グスクは奪われ、浦添グスクは焼け落ちて、今、大軍が中グスクに向かっているという噂です。..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 79.包囲陣崩壊中部の按司たちの兵が、島尻大里グスクの包囲陣から引き上げて行った事を知った、八重瀬按司のタブチは鬼のような顔をして怒鳴っていました。 豊見グスク按司の兵が攻めて来ると、小禄按司、瀬長按司、兼グスク按..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 78.南風原決戦サハチ(尚巴志)が首里グスクを奪い取り、浦添グスクを焼き討ちにした翌日、豊見グスクを包囲していたサハチの弟のマサンルーは東方(あがりかた)の按司たちにサハチのした事を説明して、豊見グスクから撤収します..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 77.浦添グスク炎上サハチ(尚巴志)が首里グスクを奪い取った日の夕方、浦添の遊女屋『喜羅摩』では、早々と戦勝祝いの宴が賑やかに開かれていました。 招待したのは侍女の頭を務めるナーサで、招待されたのは中山王の重臣たちでし..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 76.首里のマジムン1406年2月9日、島添大里グスクで、馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌルによって、出陣の儀式が行なわれました。 儀式が終わるとサハチ(尚巴志)の弟、マサンルーが100人の兵を率いて、糸数グスクに向かいま..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 75.首里グスク完成首里グスクの完成の儀式が行なわれる2月10日の翌日、山南王のシタルーを攻めるとの出撃要請が、八重瀬按司のタブチからサハチ(尚巴志)のもとに来ました。 サハチは大グスク按司と一緒に玉グスクに行って、東..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 74.タブチの野望とシタルーの誤算久し振りに馬天ヌルと娘のササと一緒に、年末年始を過ごしたヒューガは五日になると慶良間の島から兵の移動を開始します。 サハチ(尚巴志)の父は慶良間の島には帰らず、孫たちと過ごしていました。 正月..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 73.ナーサの望みウニタキが望月党を倒してから、浦添グスクの侍女のナーサは「よろずや」にちょくちょく遊びに来るようになりました。 ナーサは侍女を引退して、何か商売を始めようと思っているようです。 長年、女たちを使っ..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 72.伊波按司勝連の噂が飛び交っていた7月の下旬、大きな台風がやって来ました。 島添大里も佐敷も平田もそれ程の被害はなくて助かります。 ウニタキが調べた所によると、建築中の首里グスクの石垣がかなり崩れたようです..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第一部 71.勝連無残永楽三年(1405年)の正月の末、シンゴとクルシの船が馬天浜に来て、サムとクルーがヤマトゥ旅から帰って来ました。 3月の半ばには島尻大里で盛大な婚礼があり、南部の按司たちが勢揃いしました。 サハチ..