記事「東海道」 の 検索結果 1226 件
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一里塚跡(遊行寺坂)藤沢市大鋸の旧東海道、遊行寺坂の途中にある日本橋から12番目の 一里塚の跡。遊行寺坂は当時は道場坂といい、かなりな急勾配で、その 坂の頂上に一里塚があり、榎が3本植えられていたそうです。
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原宿一里塚横浜市戸塚区原宿の国道1号線沿いにある一里塚の跡。原宿の一里塚は、 起点の江戸日本橋から測って11番目にあたっている一里塚。塚の付近に 茶店などがあったので、原宿と呼ばれるようになったのことです。..
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大坂松並木横浜市戸塚区にある旧東海道の松並木。徳川家光の時、日照りが続き、歩行 者のために街道筋に松を植えさせたといいます。天気の良い日に松並木から 素晴らしい富士山が眺められることから、多くの浮世絵の画題..
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戸塚宿上方見附跡横浜市戸塚区の富塚八幡宮から西に200m程のところに碑があります。 見付は、主要な街道の宿場の出入り口にある構造物で、一般に江戸側の 出入り口にある方を江戸見付、京側にある方を上方見付と呼んでいま..
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澤辺本陣跡(戸塚宿)戸塚宿は、東海道五十三次の5番目の宿場で、日本橋から旅程がちょう ど一泊目にあたり、旅籠数が五十三次中、小田原宿に次ぐ規模だったそ うです。戸塚宿の本陣には、澤辺・内田の二軒があったとのことです。..
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脇本陣跡(戸塚宿)横浜市戸塚区戸塚町、国道1号線(旧東海道)沿いにある戸塚宿の脇本陣跡。 戸塚宿には3軒の脇本陣があり、本陣に差し支えがあったとき等に利用されて いたそうです。大名等の宿泊が無い時は一般旅客も宿泊で..
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品濃一里塚横浜市戸塚区にある一里塚の跡。東海道には江戸初期、日本橋を起点とし て一里(約4km)ごとに、道の両側に土を高く盛った塚が築かれました。江戸 から9番目の品濃一里塚は、保存状態が良く県の史跡に指定..
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境木立場跡宿場と宿場の間に、馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場。 境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、西に富士、東に 江戸湾を望む景観のすばらい高台で、旅人が必ず足をとめる名所で..
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権太坂改修記念碑権太坂は、横浜市保土ケ谷区にある旧東海道の坂。藤田権左衛門が万治 2年(1659年)8月15日、坂の改修を開始し、翌年に完成。坂の名称は坂 の改修工事を手がけた、藤田権左衛門の名から由来するとのこ..
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旧元町橋跡元町橋は今井川に架かる旧東海道の通る橋で、現在の元町橋はこの地点か ら西に約300m程の所にあります。明治時代までは今井川がこの辺りを流れ、 旧元町橋は江戸時代の「東海道分間延絵図」にも描かれてい..
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茶屋本陣跡(程ヶ谷宿)保土ヶ谷宿には本陣1軒、脇本陣3軒、それに1軒の茶屋本陣があったそう です。茶屋本陣は門構を持つ茶屋で、本陣としての特権を持ち、本陣を休息 所としない多くの大名がここで休息したと伝えられています。..
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一里塚跡・上方見付跡(程ヶ谷宿)宿場の上方方面の出入り口にあたる上方見付は、程ヶ谷宿の場合には、 外川神社付近にあったとのことで、また此処には一里塚もあったそうです。 保土ヶ谷の一里塚は日本橋から8番目の一里塚になります。