記事「万葉集」 の 検索結果 7738 件
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『万葉集』を訓(よ)む(その182)今回は、第121番歌を訓む。「弓削皇子思紀皇女御歌四首」の3首目である。写本に異同はなく、原文は次の通り。 暮去者 塩満来奈武 住吉乃 淺鹿乃浦尓 玉藻苅手名 1句「暮去者」は..
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『万葉集』を訓(よ)む(その181)今回は、第120番歌を訓む。「弓削皇子思紀皇女御歌四首」の2首目である。写本に異同はなく、原文は次の通り。 吾妹兒尓 戀乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾 1句「吾妹兒尓..
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『万葉集』を訓(よ)む(その180)今回は、第119番歌を訓む。題詞に「弓削皇子思紀皇女御歌四首」とあり、本歌119番歌〜122番歌までの四首は、弓削皇子が紀皇女を思ってお作りになった恋歌であることがわかる。弓削皇子は、111番歌の作者..
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『万葉集』を訓(よ)む(その179)今回は、第118番歌を訓む。本歌は、題詞に「舎人娘子奉和歌一首」とあって、117番歌(以下、前歌という)の舎人皇子のお歌に対して、舎人娘子(とねりのをとめ)がお答えした歌一首である。舎人娘子は、61番..
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『万葉集』を訓(よ)む(その178)今回は、第117番歌を訓む。題詞に「舎人皇子御歌一首」とある通り、本歌の作者は、舎人皇子(とねりのみこ)である。舎人皇子は、天武天皇の皇子で、天武5年(676)の生まれ。母は天智天皇の皇女の新田部皇女..
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『万葉集』を訓(よ)む(その177)今回は、第116番歌を訓む。本歌は、題詞に「但馬皇女在高市皇子宮時竊接穂積皇子事既形而御作歌一首」とあり、但馬皇女が、高市皇子の宮にお住まいになっていた時にひそかに穂積皇子と結ばれ、その事が人々に知..
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『万葉集』を訓(よ)む(その176)今回は、第115番歌を訓む。題詞に「勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首」とある。天皇のご命令で、穂積皇子を近江の志賀の山寺に遣わされた時に、但馬皇女がお作りなった歌一首ということで、114番..
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『万葉集』を訓(よ)む(その175)今回は、第114番歌を訓む。題詞に「但馬皇女在高市皇子宮時思穂積皇子御作歌一首」とある。但馬皇女(たぢまのひめみこ)が、高市皇子(たけちのみこ)の宮にお住まいになっている時に、穂積皇子(ほづみのみこ)..
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『万葉集』を訓(よ)む(その174)今回は、第113番歌を訓む。題詞に「従吉野折取蘿生松柯遣時額田王奉入歌一首」とある。「蘿」は『本草和名(上)』に「松蘿一名女蘿」とあって、和名は「末都乃古介(まつのこけ)」とある。「柯」は「木の枝」。..
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『万葉集』を訓(よ)む(その173)今回は、第112番歌を訓む。題詞に「額田王奉和歌一首[従倭京進入]」とあり、弓削皇子の111番歌(以下、前歌という)に対する返歌で、[従倭京進入]の注があることから、額田王が倭(やまと)の京(みやこ)..
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『万葉集』を訓(よ)む(その172)今回は、第111番歌を訓む。本歌は、題詞に「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」とあり、(持統天皇が)吉野の宮に行幸された時に、「弓削皇子(ゆげのみこ)」が「額田王(ぬかたのおほきみ)」に贈り与えら..
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『万葉集』を訓(よ)む(その171)今回は、第110番歌を訓む。題詞に「日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首 [女郎字曰大名兒也]」とあり、「日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)」が「石川女郎(いしかわのいらつめ)」に贈った歌で、女郎の通称..