記事「万葉集」 の 検索結果 7738 件
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『万葉集』を訓(よ)む ー閑話休題(その10)ー前回まで、「太上天皇幸于難波宮時歌」の題詞のもとに採録された四首を訓んできたが、今回は閑話休題として、この4首についてまとめて考えてみたい。もう一度、4首を漢字仮名交じり文で見てみよう。 ① 大伴の..
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『万葉集』を訓(よ)む(その126)今回は、第69番歌を訓む。この歌が「太上天皇幸于難波宮時歌」の四首目で最後の歌となる。左注に「右一首清江娘子進長皇子[姓氏未詳]」とあり、清江(すみのえの)娘子(をとめ)が長皇子にたてまつった歌である..
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『万葉集』を訓(よ)む(その125)今回は、第68番歌を訓む。これも前歌に引き続き「太上天皇幸于難波宮時歌」であり、左注に「右一首身人部王」とあるので、「身人部(むとべの)王(おほきみ)」が作者であることが分かる。「身人部王」は、『続日..
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『万葉集』を訓(よ)む(その124)今回は、第67番歌を訓む。前歌に引き続き「太上天皇幸于難波宮時歌」で左注に「右一首高安大嶋」とあり、作者は「高安(たかやすの)大嶋(おほしま)」である。高安大嶋については、伝未詳であり、歌もこの一首の..
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『万葉集』を訓(よ)む(その123)今回は、第66番歌を訓む。題詞に「太上天皇幸于難波宮時歌」とある。太上天皇は持統天皇であるが、持統天皇が難波宮に行幸された記事は史書にはない。文武天皇3年(699)正月の行幸の折りにご同行されたものを..
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『万葉集』を訓(よ)む(その122)今回は、第65番歌を訓む。題詞に「長皇子御歌」とあり、作者は、「長皇子」で、前歌の所で述べたように、慶雲三年丙午幸于難波宮時の歌である。「長皇子(ながのみこ)」も第60番歌の作者として既出だが、前歌の..
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『万葉集』を訓(よ)む(その121)今回は、第64番歌を訓む。題詞に「慶雲三年丙午幸于難波宮時 / 志貴皇子御作歌」とあり、「志貴皇子」より行を改め、二行に記している。この記載法は異例と言える。「…時歌」と題して歌をあげ、その左に「右一..
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『万葉集』を訓(よ)む(その120)今回は、第63番歌を訓む。題詞に「山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌」とあり、「山上(やまのうへの)臣(おみ)憶良(おくら)が、大唐に在る時に本郷(くに)を憶(おも)って作った歌」であることが分かる。前歌の..
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『万葉集』を訓(よ)む(その119)今回は、第62番歌を訓む。題詞に「三野連[名闕]入唐時春日蔵首老作歌」とあり、三野連(みののむらじ)(名は欠ける)が入唐する時に、春日(かすがの)蔵首(くらのおびと)老(おゆ)が作った歌であることが分..
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『万葉集』を訓(よ)む ー閑話休題(その9)ー前回まで、大宝2年(702) 壬寅の年の太上天皇参河國行幸の時の歌5首を訓んできたが、今回は閑話休題として、そのまとめを行う。当時は、還幸後の宴会において、従駕の人と留守居の人との歌が同時に披露されて..
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『万葉集』を訓(よ)む(その118)今回は、第61番歌を訓む。題詞に「舎人娘子従駕作歌」とあり、舎人娘子(とねりのをとめ)が大宝2年(702) 壬寅の年の太上天皇参河國行幸に従駕して作った歌であることが分かる。舎人娘子には、本歌以外に2..
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『万葉集』を訓(よ)む(その117)今回は、第60番歌を訓む。題詞に「長皇子御歌」とあり、天武天皇の第4皇子の「長皇子(ながのみこ)」の作であることが分かる。長皇子の母は、天智天皇の皇女大江皇女であり、同母弟に弓削皇子がいる。純粋で妥協..