記事「万葉集」 の 検索結果 7738 件
-
『万葉集』を訓(よ)む(その116)今回は、第59番歌を訓む。以下第61番歌の3首までが、前の2首と同様、大宝2年(702) 壬寅の年の太上天皇参河國行幸時の歌であるが、前の2首とこれ以下の3首とは作者の記載様式が違っている。前の2首は..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その115)今回は、第58番歌を訓む。第57番歌と同じく、大宝2年(702) 壬寅の年の太上天皇参河國行幸時の歌である。左注に「右一首高市連黒人」とあり、作者が「高市(たけち)連(むらじ)黒人(くろひと)」である..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その114)今回は、第57番歌を訓む。題詞に「二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌」とある。「二年壬寅」は大宝2年(702) 壬寅の年であり、「太上天皇」は譲位後の持統天皇の尊称。この「参河國行幸」については、大宝2年..
-
『万葉集』巻16。所用で『万葉集』を読み返した。読み返したといっても、すべてではない。巻16だけである。巻16を読み返してあらためて『万葉集』は不思議な歌集であると思った。たとえば、巻16には竹取の翁を主人公に..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その113)今回は、第56番歌を訓む。この歌の題詞は「或本歌」となっており、 「大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」の第一首目の第54番歌に関連する歌として別本より引用したものであることを示している。そし..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その112)今回は、第55番歌を訓む。第54番歌の題詞「大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」はこの歌にまで及ぶ。左注には「右一首調首淡海」とあり、この歌の作者が「調首(つきのおびと)淡海(あふみ)」であるこ..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その111)今回は、第54番歌を訓む。題詞に「大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」とある。ここにはじめて題詞に年月が記されているが、こうした題詞の記載様式の相違は、『萬葉集』編纂の方法・時期の違いとして注目..
-
日本の古代史に新発見。日本書紀や万葉集に登場の「磐余池」は実在した!付近の地図を見たのですが、確かに池がありそうな地形でしたね。 かなり大きな設備があった事でしょう。 こういう地道な調査で日本の古代史は裏付けられていくのでしょうね。 万葉集の本 Amaz..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その110)今回は、第52番歌と第53番歌のまとめをおこなう。まず、第53番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと次の通り。 藤原(ふぢはら)の 大宮(おほみや)つかへ あれつぐや 處女(をとめ)が友(とも)..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その109)今回は、第52番歌の口訳から始める。 隅々まで天下をお治めになる わが大君 高く天上を照らしたまう 日の御子は 麁妙を作る材料の藤の木がある 藤井が原の地に 立派な宮殿を 始め..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その108)ー「藤原宮御井歌」6前回は、第52番歌の38句で終わったが、37句・38句の「高(たか)知(し)るや 天(あめ)の御蔭(みかげ)」は次の39句・40句と対句になっている。 39句「天知也」は「天(あめ)知(し)るや」..
-
『万葉集』を訓(よ)む(その107)ー「藤原宮御井歌」5今回は、第52番歌の31句から訓む。 31句「名細」は「名(な)細(くは)しき」と訓む。「名(な)細(くは)し」と4音に訓む説もある。用例としては、第220番歌に「名細之(なくはし) 狭岑之島(さ..