記事「戊辰戦争」 の 検索結果 566 件
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光福寺新潟県長岡市摂田屋にある、浄土真宗本願寺派のお寺で、 北越戊辰戦争の時に、長岡藩の本陣が置かれていた場所です。 慶應4年5月3日、河井継之助は此処に藩士を集め、開戦を告げました。
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河井継之助被弾の地北越戊辰戦争で、長岡藩は一度落城した長岡城の奪還に成功。 しかし、新政府軍は再度長岡城を攻撃し、その防衛戦の時に、 長岡藩家老の河井継之助はここで致命的な銃弾をうけてしまいました。
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八兆沖古戦場八丁沖は長岡城の北東部に広がる、当時は広大な沼沢地域だったところ。 慶應4年7月24日の深夜、長岡城奪還を目指す長岡藩兵約680名が 約6時間を費やしてこの八丁沖を渡渉、長岡城を奇襲して奪還に成功..
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はしご橋北越戊辰戦争の際、長岡城の奪還を目指す長岡藩兵が通過したとされる橋。 八兆沖と呼ばれる沼沢地を長岡藩兵が進行した時に、梯子で橋を架けたとも、 また、長岡藩兵の旗印が「五間梯子」だったからとも云われ..
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大黒古戦場大黒古戦場は、会津戦争以上と云われた北越戊辰戦争の最大の激戦地跡。 新政府軍が堡塁を築いていた跡が、現在では大黒古戦場パークとして整備 され、山本五十六中将の揮毫による「戊辰戦績記念碑」等がありま..
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東軍第二砲台場北越戊辰戦争の激戦地の一つで、八兆沖と呼ばれた沼の北に位置し、 長岡城の奪還を目指す長岡藩軍を中心とする同盟軍が砲台を置いた場所。 長岡藩軍が7月25の夕刻、八兆沖の渡渉を開始した地点ともされてい..
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永閑寺新潟県見附市今町にある真宗大谷派のお寺。 1623年(元和9年)の開山で、御本尊は約500年前の作の阿弥陀如来。 北越戊辰戦争の時には新政府軍の本陣となり、激戦地となりました。
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今町激戦地跡長岡城を陥落させた新政府軍は、今町を防衛の拠点とする。 長岡城の奪還を目指す長岡藩軍は北部から南下して今町を攻撃。 5月29日午後、源助坂と呼ばれたこの付近で激戦が繰り広げられました。
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弾痕の跡新潟県見附市今町に残る、北越戊辰戦争の時の弾痕跡。 この弾痕は、長岡城の奪還を目指す長岡藩軍が新政府軍の守る今町を 攻撃した、所謂「今町奪還作戦」の時の弾痕と伝えられています。
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坂井神明社新潟県見附市坂井にある神明社。 北越戊辰戦争の時には、長岡城の奪還を目指す長岡藩の山本帯刀が ここに陣を置き、砲台を据え、今町攻撃の前線基地となりました。
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加茂本陣跡北越長岡戦争で、新政府軍の攻撃により長岡城が落城。 再起を期した河合継之助は、加茂の大庄屋市川邸に本陣を構えました。 後に、明治天皇が北陸御巡幸の際、この地でお食事をとられたとのことです。
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福山城大坂夏の陣のあと、西国有力大名への抑えとして築城された城。久松城、 葦陽城とも呼ばれ、日本100名城にも選定されています。幕末には幕府 側の重要拠点であったため、新政府軍から攻撃されました。