記事「戊辰戦争」 の 検索結果 566 件
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松坂屋上野店松坂屋は名古屋市に本店がある百貨店で、明和5年(1768年) に江戸進出。 東京で江戸時代から現在まで同一の場所で続く百貨店は、日本橋三越と当店 だけで、彰義隊と官軍による上野戦争の際には、官軍の..
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上野の山東京上野の上野恩賜公園のあるところで、「上野の山」とも呼ばれています。 慶應4年(1868年)5月15日の上野戦争の際には、ここを拠点にした彰義隊 約4000に対し新政府軍約10000が攻撃し、激..
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小枝橋跡慶応4年(1868年)正月3日、上洛を目指し、鳥羽街道を北上する幕府軍 1万5千と、これを阻止しようとした官軍6千が、小枝橋で武力衝突しました。 この武力衝突が、翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端とな..
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秋の山(鳥羽離宮跡)京都市伏見区にある鳥羽離宮跡公園に残る、鳥羽離宮の築山「秋の山」。 明治元年/慶応4年(1868年)1月3日、この地に布陣していた薩摩藩の 大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)が始ったとのこ..
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小枝橋碑慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽街道を北上する幕府軍と、これを阻止 しようと竹田・城南宮周辺に布陣した官軍は、この地小枝橋で衝突しました。 幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いだったとのこ..
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鳥羽伏見戦跡地碑京都府京都市伏見区納所、旧京阪国道沿いにある鳥羽伏見戦跡地の碑。 明治元年(1868年)1月5日の戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いにおいて、 この地域一帯で、徳川幕府軍と薩長軍の戦闘が有ったことを示す碑で..
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戊辰役東軍戦死者慰霊碑鳥羽伏見の戦で激戦地となった宇治川堤千両松の地に立つ碑。 戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑が明治40年に建立されましたが、その碑を 撤去しようとしたら怪異が起きたので、埋骨地碑は元に戻されたそうです。
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中島三郎助最期の地中島三郎助は浦賀奉行所与力として、ペリーと最初に交渉した人物で、長崎 海軍伝習所の第一期生となり、後に軍艦操練所教授方にもなりました。箱館 戦争では千代ヶ岡陣屋の守備につき、二人の息子とともに戦死..
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千代ヶ岡陣屋跡1808年、蝦夷地警備のために仙台藩が陣屋を設置したのが始まり。 明治元年(1868年)、五稜郭を本拠とした旧幕府軍が、ここに兵を配置。 明治2年5月16日、新政府軍の総攻撃により、ついに陥落しま..
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一本木関門跡箱館は戊辰戦争最後の激戦地。その箱館戦争の末期、明治2年(1869年) 5月11日、土方歳三はついに戦死。場所は一本木関門の近く(現在の函館 市若松町)、銃弾を腹部に受けて即死状態だったとのことで..
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如来堂会津若松市の鶴ヶ城から北西、阿賀川の近くにある如来堂。 明治元年(1868年)年9月4日、会津城下に来襲した新政府軍は、如来堂に 立てこもる新選組に激しい攻撃を加え、新選組は全滅したと伝えられまし..
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中野竹子殉節之地明治元年(1868年)8月25日、黒髪を断ち、薙刀をかかえて衝鋒隊に 加わった中野竹子は、城下にせまる長州・大垣藩の兵士とここで遭遇。 激戦の中、敵の銃撃に会い、壮烈な戦死をとげました。 享年22..