記事「旧日本軍」 の 検索結果 255 件
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(31) Bandara Dai Nippon(31)サルミ大本営は、昭和18(1943)年8~9月頃「絶対国防圏」構想を固めた。要点は、南太平洋方面の確保を断念し、マリアナ、カロリン中西部、北西部ニューギニア、スンダ列島を結ぶラインを、国防上必要..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(30) Bandara Dai Nippon(30)サルミ第36師団がサルミ(Sarmi)に到着する直前、第19軍は第2野戦飛行場設定司令部(山本勝大佐)を通じ、第103野戦飛行場設定隊(富澤太郎少佐)にサルミに飛行場一個を建設するよう命令を下し..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(29) Bandara Dai Nippon(29)サルミ富士山から真南へ約4,117km。世界で二番目に大きいニューギニア島の北岸に位置するサルミ(Sarmi)がある。現在はインドネシア最東端のパプア州サルミ県の県都が置かれている。同県は200..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(28) Bandara Dai Nippon(28) ナビレフェールヴィンク湾周辺では日本軍占領当初、陸海軍合計17個の飛行場設定が計画されたが、昭和18(1943)年8月時点で完成していたものはナビレ(Nabire)の海軍飛行場1個のみだった。こ..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(27) Bandara Dai Nippon(27) ヌンホル島ヌンホル島に日本軍の航空基地が完成・概成するやいなや、まさにビアク島の戦い同様に、連合軍は、事前の猛空爆に次いで、1944年7月2日、ヌンホル島に上陸してきた。エドウィン・パトリック(Ed..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(26) Bandara Dai Nippon(26) ヌンホル島ビアク(Biak)島の玉砕戦が余りにも有名で、その戦史に隠れがちだが、西隣にあるヌンホル(Numfor)島でも、実は壮絶・凄惨な戦いが繰り広げられた。しかも、ビアク島同様に、大本営は、この..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(25) Bandara Dai Nippon(25)ビアク島赤道のほぼ真下、南緯1度、東経136度に位置するビアク(Biak)島は、足の形によく似た島だ。島の南岸が踵(かかと)、そして東端がつま先にあたる。島の北側1/3は山岳地帯、残りは台地状。珊..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(24) Bandara Dai Nippon(24) ビアク島「玉砕の島」の「玉砕の洞窟」。ビアク島の凄惨な戦いのシンボルが“西洞窟”だ。この西洞窟は、今ではビアク島随一の観光スポットと化している。それはちょうどハワイの真珠湾とアリゾナ記念館観光とも..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(23) Bandara Dai Nippon(23) ビアク島連合軍は、ビアク(Biak)島上陸に先立つ一ヶ月の間に、計1,260トンもの爆弾を、まさにスコールのように、1万を超える日本軍将兵の頭上に降らせた。これ以前、連合軍は、昭和19(1944)..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(22) Bandara Dai Nippon(22) ビアク島日本兵が、乏しい水補給の中、赤道直下の炎熱下、ツルハシとモッコで造成したモクメル(Mokmer)飛行場(現在はフランス・カイシエポ空港)、そしてソリド(Sorido:第三モクメル)とボロク..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(21) Bandara Dai Nippon(21) ビアク島紀伊半島の南端潮岬から真南へおよそ3,800km。赤道を少し超えた所にビアク(Biak)島がある。ここに戦時中、日本軍は大飛行場群を建設し“絶対国防圏”の要衝とした。しかし、昭和19年(1..
-
東部インドネシアの旧日本軍航空基地(20) Bandara Dai Nippon(20) マピア島秋田県の南南西およそ4,360km。あるいは四国の室戸岬の真南約3,590km。西部ニューギニアの北およそ190km。そこに、太平洋戦史にもほとんど登場しない、忘れ去られた小さな島がある。..