記事「お笑い」 の 検索結果 21066 件
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【西条昇の軽演劇コレクション】伊東劇場、浅草松竹演芸場、新開地・寿座でのデン助劇団(大宮敏光一座)のパンフレット&チラシ浅草の軽演劇史上、デン助劇団こと大宮敏光(のちに敏充に改名)一座が果たした役割は非常に大きい。 昭和21年に浅草松竹演芸場に一座を率いて出演以来、昭和48年に解散するまで常打ち劇団として定着。 昭..
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【西条昇の軽演劇コレクション】浅草松竹演芸場(コント55号ほか出演)のパンフレット僕の実家は飯田橋の東京警察病院の二軒隣りで靴屋をしていたことから、小学校低学年の頃は浅草・松屋の前の靴の問屋街に出かける父親によく着いて行き、帰りに花やしきに寄ったり、浅草松竹演芸場でデン助劇団や漫才..
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【西条昇の軽演劇コレクション】日比谷・有楽座、新宿・大東京、渋谷・東横映画劇場での「わらわし隊」(吉本興業)のパンフレット&チラシ最近、日比谷・有楽座、新宿・大東京、渋谷・東横映画劇場で昭和13年2〜3月に行われた「わらわし隊」凱旋公演のパンフレット&チラシを入手することが出来た。 「わらわし隊」とは、吉本興業と朝日新聞社との..
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【西条昇の軽演劇コレクション】浅草・万成座でのグランテッカール(吉本興業)のパンフレット昭和10年11月に浅草に東京花月劇場を開場させるまで、吉本興業が同様にレヴューあり喜劇あり漫才・演芸ありのバラエティー豊かなプログラムを組んでいたのが浅草・万成座であった。 もともと万盛庵という蕎麦..
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【西条昇の軽演劇コレクション】京都・南座での籠寅演藝部の「時局まんざい大会」のチラシ戦前・戦後に初代と二代目の大江美智子や不二洋子を擁し、「女剣劇」というジャンルを武器に興行の世界に旋風を起こした籠寅興行部は、演芸のジャンルにも積極的に進出を計ろうとしていたフシがある。 廣澤虎造の..
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【西条昇の軽演劇コレクション】名古屋劇場、京都花月劇場の戦前の吉本興業のパンフレット戦前の吉本興業がすでに全国的な劇場展開をしていたことは前回にも書いたが、僕の手元にある名古屋劇場と京都花月劇場のパンフレットを見て、改めて豊富な陣容と多彩な番組作りに驚かされた。 売り出し中のあきれ..
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【西条昇の軽演劇コレクション】浅草・東京花月劇場(吉本ショウ)のパンフレット前回に触れた「あきれたぼういず」は浅草の東京花月劇場(のちに浅草花月劇場の表記に)の「吉本ショウ」に出演していたメンバー四人によって昭和12年に結成され、たちまち東京中の人気をさらった。 東京花月劇..
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【西条昇の軽演劇コレクション】京都・松竹劇場、南座、大阪・浪花座での新興キネマ演藝部公演のパンフレット昭和14年3月から4月にかけて、日本の演芸史・喜劇史・芸能史に残る大事件が起こった。 松竹の傍系の映画会社であった新興キネマが、新たに演芸部を立ち上げ、専属タレントとして、演芸会社トップの吉本興業か..
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漫才協会主催の漫才大会は今年も大盛況でしたお笑い評論家の西条昇です。 四年前から構成に参加させて頂いている漫才協会主催の漫才大会が昨日29日、浅草公会堂で開催されました。 ナイツやWコロンやU字工事の若手エース対決、内海桂子師匠や..
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笑いと健康学会の理事会と総会に出席してきました西条昇です。昨日は六本木ヒルズの一画のハリウッドビューティプラザで開催された、笑いと健康学会の理事会と総会に出席してきました。 理事会では東大や慶応大の先生方とご一緒させていただきました。 ..
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お笑い界の大御所芸人たちが30年以上もトップで居られる理由と<ポスト紳助>などが成立しないと思う理由について先月の島田紳助氏の引退騒動のあと、「<ポスト紳助>は誰になると思うか?」といった質問を複数のメディアから受けた。 この質問についての僕なりの答えは、同じく良く受ける「タモリ、たけし、さんま、紳助、所..
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共同通信に執筆した追悼文「タレント 前田武彦さんを悼む」先月5日に亡くなられたタレントの前田武彦さんへの追悼文を共同通信に執筆しましたので、ここに載せておきます。 「タレント 前田武彦さんを悼む」 西条昇(お笑い評論家・江戸川大学准教授) ..