記事「シルクロード」 の 検索結果 379 件
-
7―4)シルクロード観光の拠点(ウルムチ)ウルムチには、1999年8月、2006年6月、2008年4月と3回訪れた。第1回目は西安から敦煌、トルファンを経由して、ウルムチまでの旅、第二回目はウルムチからカナス湖を経由してイーニンに至るジュン..
-
7―3)葡萄とカレーズ(トルファン=火州)西遊記で、火炎山といえば、三蔵法師一行の行く手に立ちはだかる火の山。その火を消そうと、孫悟空が羅刹女に芭蕉扇を借りに行く。そこでお決まりの大乱闘。トルファン盆地の北にある現実の火炎山は、砂漠の中の赤..
-
7―2)高昌国跡 (トルファン盆地)この写真、何の変哲もない砂漠の写真なのに、地平線の近くに、湖があるように見える。僕は始め自分の眼を疑った。しかし、この湖は、ツアー仲間にも良く見えたようで、カメラにも映っていた。ガイド嬢によると、こ..
-
7-1)敦煌(沙州). 1998年の敦煌は、まだ鉄道が開通していなかった。トルファンから、夜行列車で柳園に行き、そこからバスで砂漠の中の道を走った。空が茜色に染まる頃、敦煌に到着。琵琶の背弾きをしながら踊る西..
-
6-5)カラコルムと植樹観光5日目はモンゴル帝国の旧都・カラコルムを訪ねる。ブルドのキャンプから、再びトランポリン・ロードを走る。バスからの風景は、相変わらずの草原。旧都といっても何もない。遠くに、城壁らしきものを発見。こ..
-
6-4)ナーダムとゲル観光3日目は、ウランバートルから350キロほど離れたブルドまでの移動。この区間は、まともな道路の予定であったが、その殆どが工事中。こんな時は、道路の脇の草原を自由にサファリである。何かに掴っていない..
-
6-3)文殊菩薩廟と騎馬隊ショーモンゴルの面積は日本の約4倍。これに対して、人口はたったの250万。その半分はウランバートルに住んでいるという。しかし馬と牛はそれぞれ200万頭、ヤギと羊は合計で3千万頭くらい。だから、一歩ウランバ..
-
6-2)女体佛戦勝記念碑から、宮殿博物館に向かう。モンゴル最後の皇帝・ボグド・ハンの冬の宮殿跡。宮殿といっても、祭政一致の政府なので、建物は寺院風。今は荒れ果ててみる影もない。ボグド・ハンはチベットから来た生き仏..
-
6-1)キリル文字とノモンハン事件2007年7月7日から14日まで、モンゴル人民共和国を訪れた。成田で、モンゴル航空に乗って、まず驚いたのが、機内で配られる新聞。みなロシア文字(キリル文字)で書いてある。いつの間に、モンゴルはロシア..
-
5-9)チベット文化博物院(西寧)西寧のレストランで、昼食後、最近出来たというチベット文化博物院に行く。ここの売り物は、北京オリンピックに間に合うように作ったという、織物で作ったチベットの歴史絵巻、チベットの画家400人を総動員して..
-
5-8)黄土高原の家(循化)8月16日朝、熱貢賓館を出発、パンチェンラマの生家のある循化を経由して、西寧に向かう。 このあたりは、黄河上流の黄土高原。黄河に削り取られた山肌が、荒々しい姿を見せる。木は生えないのだろうか。それと..
-
5-7)二つの村祭(ネンドボ村とソホル村)今回の旅のメインであるレゴン祭は、ここの山の神様の祭り。仏教の僧侶達は、一切参加しない。日本なら、さしずめ、村の鎮守の神様のお祭りである。祭りは、似た様な形式で行われるが、村ごとに山の神様が違うので..